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似非保守論説の歪みを糾す チャンネル桜の問題番組を考える
事始め
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護国日記23/5/15
論説21/8/8
保守派論説の歪みを考える21/8/25
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 教育における体罰を考える 
 戸塚宏 

●「教育における体罰を考える」シンポジウム

http://www.nicovideo.jp/watch/sm7736031

チャンネル桜が主宰してなしたシンポジウムであるが、全体的にみると少し分かり難い、また論点のやや定まらぬ議論の会であった気がする。最初に戸塚ヨットスクール会長の短い挨拶。この中で、「体罰といってもそれを定義付けなければ話しがかみ合わない(記憶による大意)」との指摘があり、正にその通りと思う。ただ戸塚会長方法論を石原氏が肯定されていたが、これはかなり微妙で厳しいのではなかろうか。実際今は体罰は行っていないという。という事は……と論じるだけの知識が今の我にはないし、敢えて調べるほどの事でもないだろう(流石に戸塚氏の論をなす風体をみていると調べるだけの気力が出て来ない)。
次は比較的長く、「君が代」から始まる日本の歌の披露があったが、これも演出なのだろうか。ただ歌い手はソプラノ歌手の方であるが、やはり日本の歌は日本の歌の専門家が日本的な技術で歌うのが良いのではないかと少し感じられた事である。
それは大した問題ではないので、これ以上言及しないとして、次には桜井よし子女史と石原都知事の意見。残念ながら御両人ともに最初の定義付けがないために散漫で胡乱な議論になってしまっている事が遺憾である。そしてまた石原氏には余り横文字文献、またアカ系文献の引用はやめて欲しい気がする。
桜井女史は「武士道」文献にはお詳しいが日本の武術文化には全く無知と言って良く、その欠点が現れた議論となっている。伝統ある古伝武術ではこの様な問題のかなりの部分を既に解決してしまっているのであるが、その基盤となるものを知らない故に余り正当な論になっていない様に思われる。
話しに出た問題で少し疑問に感じられたのは「後ろから生徒に蹴り飛ばされ、それを押し返して壁にあったって、それで問題なり……云々」との話しがあり、これをつまり「これが問題になるのか」と問題にされていたのかという事かと思われたが、我は少し問題だと思う。いやその教師の行為が問題であり、それが問題になる事が問題あるではない。
桜井女史の論で昔の躾けの話しが出てきて、真にしかりとは思うのであるが、「躾」と「体罰」との関連、差異などの議論がなければ、正に議題にかみ合った論にはなり得ないだろう。
その様な議論の推移を含めて、我も体罰問題の専門家ではサラサラなく、また興味もなかったが、基本的な条件、「体罰不可」いうのはそれなりに正当な方法論である様に感じられる。本シンポジュームが全体的に「体罰可」という様な論調の様にも感じられるのだが、いや、それはそれで良いのだがそう論証するだけの、説得力のある論が殆どないことは疑問に感じられた事である。 
後何人かの意見が順に出されたが、余り納得できるものはない。
子供は虎ではないのだから鞭を用いて調教する様なことは余り宜しくないと思うが、この様な問題も含めて各論者は殆ど全てやはり日本が足りない。特に全く日本の伝統武術の嗜みのある者が殆どゼロに等しく、その様な伝統的な立場の発言がなかった事は遺憾に思うのである。
水島社長が大学柔道部のシゴキの話しをなし、その必要性を述べたが、半分は正しいとは思うが、ただ現在の大学柔道部の稽古法は日本の伝統的な方法論ではなく、殆ど西洋式トレーニング法であるので肉体的にも精神的にも後々の歪みが残るリスクは高いのではないかと思う。
後、タイガーマスク、つまり佐山氏も参加し、武道として立場から武士道的な事を発言されいたが、格闘技と武道とは異質なものであり、それがゴッチャになった胡乱な論と感じたが、流石にこの程度の事に関して我もこれ以上反応のしようがないし、したいとも思わない。。

●各論だが、やはり総論
総論的な事を、我の感想として先ずは述べたが、個々の問題について考えてみよう。「尻を蹴られて突き飛ばし、壁にぶつけて云々」は前後関係やその場の状況も不詳であるが、子供の暴力程度の事を何とかできない事も大人の教師として何とも情けないし、それに仕返しに突き飛ばして怪我をさせる事など、全く以て、武道不覚悟である。
ともあれ、田久保教授が説明された様に、現法律では「懲戒は良いが、それについて体罰は不可である」という事。これはこの通りであり、我も今の立場では是れは当然として支持するしかない。
その問題点を提起しない場合(提起できない?)、議論がかなり無駄である。
全体を通じて胡乱な抽象論ではなく、ちゃんとした聞くべき論説があったのは南出氏と西村氏位だったのではなかろうか。南出氏の発言は重要で、この様な事実はやはり日本弱体化、家族制度破壊の為の陰謀の様に感じられる。西村氏の論もそれを補足する様な論説であり、一聴の価値のある事である。
ただこれは本シンポジウムの「体罰問題」と言う議題とは少し別の問題であり、この点のみを特別に取り上げて論ずべき事項である。
話しを戻すとやはりこのシンポジウムは少し可笑しい。何をやりたかったが余り明確ではないことを少し遺憾に思う。
そしてやはりいま少し総論を述べると、戦前の体罰と言う様な論を「可」とするような論の様にも思えるが、しかし日本の戦前は必ずしも日本の古伝統ではなく、既に日本の伝統(特に武術文化)をかなり疎んじた西洋式文化礼賛に堕ちてしまっていると考える。江戸期において戦前式の様な体罰があったかと言われと基本的にはなかったと考える。
変わるものとしてそこには古伝武術の高度な技法伝と夫れに付随する武士道の規範があり、そもそも最初から必要なかったと考える者である。

古伝武術の超絶的なる技術を以てすれば暴れる生徒を全く傷つけず、やんわりと抑えて諭す事も出来るし、最初から暴力事件など起こりようがなく、生徒も反攻の仕様もない。また古伝武術をある程度以上修めたならば、生徒を口や暴力で威嚇せずとずとも生徒を従わせるだけの威厳が備わるはずであるし、それでも逆らえばそれを抑えるだけ実際技術もある。

だから日本の古伝の武術と言うものは強ければよい。単にとにかく勝てば良い……と言う風には決して考えなかった。人を殴って傷つける技術が武道ではなく、坐作進退威儀備わるのが日本の武道である。

パワーとスピード、小手先の技術での勝敗に拘る現代式ゲーム武道の事じゃない。戦後に現れた専守防衛、口先平和のレジャー武道の事でもない。本来それは江戸期以前に完成した正真の伝統古式武術でなければ成らないと考える。

その様なちゃんとした技術の習得をなさずして単に「体罰復活」などなせば劣化した現代の教師が暴走し色々事故の起こる可能性があり、教育現場が益々混乱するばかりである。


少し話の範囲を広げると戦前の日本軍の体罰なども我は日本の劣化の現れであると考えるものである。江戸期は逆にもっと高度な(西洋式の謂いではあるが)ヒューマニズムがあったのであり、日本の教育も「戦前体罰式」を乗り越えてそこに帰って行かねば成らないと考える者である。
しかしその前には日本古伝武術の復興とその文化の習得が前提条件となるであろうとは思う。そこに至れば「体罰の可否」の問題も無意味になったと来るだろう。

 

●結論
色々感想を述べたが、この会の基本の趣旨は学校教育法の「体罰を加える事は出来ない」と言う条文の削除を求めると言う事である様である。敢えて我もその正否を現時点で確言しないが、しかしこの会の議論を聴いた限りでは必ずしも左袒出来ないと言うのが結論である。

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