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●「GHQ武道を超えて」――現代に行われる武道群とは全く異質な正真の日本古典武術の世界


「かつての武道王国」
「日本は武道王国也」と人は言うが、本当にそうなのだろうか? この点を考察しておこう。
かつての日本は真にしかりで江戸三百年のミナクルピースの時代に確かに超絶的な流儀武術が無数に形成され、全国津々浦々に名人達人が犇いていた。これほどの武術文化を形成した国は世界中のどこにもなく、正に人類史上の大奇跡といってよいだろう。江戸期に育まれた武術文化は本当に素晴らしい……。
しかしそれらの膨大なる日本傳古典武術群は幕末期に確かに絶頂期を迎えたが、維新より先は正に急転直下の瀧落としだった。それまで頂点にまで上り詰め、保持されてきたものが一挙に維新時において百分の一になってしまったのである(百分の一というのは維新時の事であり、まだ先があるのでそこまで読み込んでください。心臓に悪いけれど)。これは真に遺憾な事であるが、その基盤であり、土壌でもあった武家政権では無くなったのだから致し方ない。
しかしそれでも百分の一は残ったわけである。幕末には万余の流儀があったが、百流儀くらいは残ったわけである(飽くまで維新時の事)。いやもっと多くの流儀が残ったが、ただ多くの流儀は多くの失伝があり、何とか健全に残ったのは百流派程度ではなかっただろうか。ただ不完全ながらも何とかかなりの失傳と歪みを有しながらもある程度の古伝を内蔵して現存していた流儀は千流儀ほどはあったのではなかろうか。これは古流武術史研究者として永年歴史を研究してきた立場における我の大体の結論である。
だがこれからの事が重要であり、良く聞いて頂きたい。
そのような百分の一が残ったというのは戦前までの事であり、戦後の占領下においては米国が最も恐れたのは日本のその残った古伝武術こそであり、よって伝統武術の統制と隠蔽が徹底的に行われ、この時を境に日本武術の古伝的な部分が殆ど完全に壊滅してゆく道を歩み始める事となる。
終戦時より六十四年が過ぎ去り、戦前の正真の古式武術を修めた者が総て死に絶え、戦前の師範からある程度の傳を受ける事が出来た者は本当に少なく、現時点ではかつて百分の一になったものがそのまた百分の一、つまり幕末期の日本武術の全体像の一万分の一程になっていると考える。江戸期その儘という流儀は先ず皆無であり、ある程度纏まった形で継承できたのは正に数流派に過ぎないだろう。その他、歪みを持ちながらもやっとこ断片のみ継承されている流儀、伝書復元にてある程度再現できた流儀などと合わせてやっと百流派ほどが残るのみというのが現状である。


ダミー武道
古伝武術が殆ど壊滅した現状を述べたが、それでは現在日本で行われる多くの武道は何かといえば、99・9パーセントはGHQ式に改造を加えたダミー武道である。
戦前から存在した「剣道」「柔道」は「武術」という観念を抜き取られ、レジャースポーツ武道として模様替えして施行されるようになったし、戦後のGHQ式の設定した思想統制の元にその規定に添った形で幾つかの武道が日本の伝統武術文化とは関係の無いところで現れてきた。
本来は古武道と呼ばれるものがそれらの制約を受けない、古典武術であるべきはずであるが、その意味合いの本質的な古武道など今の日本には殆ど皆無に等しく古武道と謂いながらその殆ど総ては現代式古武道なのである。これもいわばダミー古流武術というべき存在である。
今の日本には本当の伝統古式武術は殆ど残っていないという事実を先ずは認識しなければ成らないと考える。


[21年8月15日記]


消された記憶
現代の日本武道は日本武道と謂いながらその内容には西洋式トレーニングが大幅に取り入れられており、そして何よりも立脚する理念が西洋式のスポーツ式観念である。中には競技はなさない系統もあるが、それも所詮はレジャーとして行われている。厳格な古典形を核として継承され、膨大な様々な祕傳錬功法を伝えてきた古伝武術の本質とは全く異質である。そのような世界無比を誇った超絶的にして膨大なる古伝武術文化が日本に存在した事をあらゆるメディアが戦後かくまでも隠蔽してきたのであり、日本人から古流武術の記憶の大半が消されてしまっているというのが現状である。日本文化放送を名乗るチャンネル桜ですら正統なる伝統武術を紹介しようとせず、そして胡乱なる武道認識を垂れ流すのだから日本のマスメディアは本当にカスメディアである


現代武道との相違点
現代日本武道とはその實はGHQの仕掛けたダミー武道であり、本質的な日本の正真の伝統古流武術とは全く異質なものである。相違点を列記してゆこう。


@古流武術は古典形を核として継承される。
●解説
先ずは現代武道との大きな差異だろう。「柔道」「剣道」には制定形はあるが、実際的には殆ど稽古される事がない。「剣道」ではある程度施行される事もあるが、とにかく本数が少なく(大刀形七本、小刀形三本)、また内容的にも各流の寄せ集めで作った面妖な形である。「合気道」に至っては形はなく、その上に形の何たるかも知らず、技の応酬稽古を形稽古と称している。これも大変困った事である。あと、「空手道」の内の伝統派には形は存在するのであるが、現代ではやはり自由組み手系の稽古が主体となっている事が多い。ただ形を稽古の核とする道場もある。正し空手の原流は琉球拳法であるのだが、琉球拳法系の歴史にはまた色々断絶の歴史があり、この点はまた別に項目を作って論じてみたい。実際的には伝統派、形を重んじる系統も含めて琉球王朝時代の古典琉球拳法の實相とは全く異質なもので、やはり殆どの場合、所詮は近代空手そのものとなっている。


A伝承する本数もかなり膨大な流儀が多い。
●解説
古流武術が保持していた形手数は流儀によって異なり、様々な例があるが、中には千本以上の形を保持する流儀もある。伝統ある竹内流柔術は三系統に別れ多くの手数を残しており、正に千本近い本数を継承している。大阪傳澁川流柔術は総合武術として八百本ほどの手数があり、仙台伊達藩傳影山流は居合剣術傳のみで四百本ほどの古典形を保持している。柳生心眼流も手数の多い流儀であり、数百本、或いは千本にも及ぶかも知れない。盛岡傳諸賞流柔術も数百本。新陰流剣術は三百本、津軽傳一刀流剣術も六百本というような事をいっている。概ね武芸十八般を伝えた総合武術系は本数が多く、皆大体は何百本かの古典形を伝承している。単一武術を伝える系統でも数十本から百本以上の形手数を持つ場合が多い。幾つか例を上げてみよう。
天道流[剣術、二刀剣、薙刀、鎖鎌、杖]二百本近い手数がある。
無雙直傳英信流[居合、組居合形、柔術、棒]百七十本ほどの手数がある。
武蔵二刀剣法[一刀剣法、二刀剣法、小太刀]武蔵系は徹底的に本数を減らして伝承された系統であるが、それでも幾つかの系統の形を合わせ、六十八本ほどの形手数が残っている。
真蔭流柔術四十八本
天神真楊流柔術百二十四本
長尾流体術二百数十本
三神荒木流捕手四十八本
直心柳影流[薙刀、鎖鎌]三十七本
天然理心流[剣術、居合、棍、半棍、柔術]百七十本ほどの手数がある。


数十本という形手数の流儀もあり、これは一見少ないようではあるが、それでも剣道の何倍かであり、この様な少ない手数もの流儀は全体像を捉えやすく大変に学び安い流儀ともいえるだろう。この様な古流武術の実態に匹敵する形体系を持つのは講道館柔道であり、百本余りの形手数体系があり、また明治期制定の新制形のみならず、「古式の形」として江戸期における古典形も保存している。ただしそれは講道館柔道のかつての本質であり、現代の実態としては乱取り競技を主体となし、実際的に形稽古は殆ど行われていない。そして伝授も組織化の為に手継ぎの糸がズタズタに分断されている事が多いのである。


形本数のみを上げたが流儀の傳は勿論こればかりではなく、流儀独特の組討系の技や各種祕傳錬功法等がそれぞれ膨大に継承されており、形体系よりもこちらの傳の方がかなり巨大であるだろう。これらの部分は一部が現代武道に流れ、変容しながらもある程度施行されているが、古伝武術系しか伝えていない稽古法、祕傳法が多数あり、全体像は真に膨大である。いや、膨大であったというべきであり、ここまでの祕傳錬功法的なものを伝えている流儀は極めて僅少になってしまっている事は残念である。


B個人教傳を護る
●解説
古流武術と現代武道の違いはというと、その本質論としての最大の相違点はこの部分である。技の事や本数の事も問題であるが、ある意味ではそれは枝葉末節といえるかも知れない。此処は重要であるが、やや現代武道しか認識のない者には一番分かり難い部分であるかも知れない。詳しく書けばキリがなく、冗長な駄文となる恐れがあり控えたいが、少し解説してみよう。
現代武道は明治以降講道館柔道を嚆矢として武道を組織化し始めた。これは極めて重要な点であり、日本武道史上の大きなターニングポイントである。以後の多くの武道、いわゆる近代武道と言われるものは大体は夫れに習い、終戦以後はそれにビジネスの感覚が強く加味されたと観察できる。
とにかく現代武道がやっているような組織化、総本家による統制を成すような武道は江戸期の武道の中には殆どなかったのである。ともかくここから武術に精神性が次第に希薄になる最初の因が始まったわけである。
現代における所謂古武道と言われるものの多くも組織化したものが多く、この点が江戸期のあり方と大きく相違している。我が現代の古武道を現代式古武道と分類する由縁である。
とにかく江戸期における古流武術は個人教傳が建前であり、流儀の許しの組織の長的な存在を決して設けなかった。飽くまで個人対個人の伝授の中で技のみならず精神性を鑑み、流儀の許しを自己の責任で伝授していったわけである。
この点を護れていない古武道が多くなってしまった事を遺憾に思う所ではある。


C伝統的祕傳技法の消失
●解説
長い伝統を持つ日本の古流武術は見事な教傳体系を作り上げ、初傳から中傳、奥傳、そして様々な祕傳法の数々を実際に有し、真に奥深い体系となっている。現代武道の場合は柔道を除いてはそのような奥深い体系は基本的になく、古流武術の奥傳、祕傳、極意技といった部分が欠如している事が実態である。柔道の場合も本来奥深い体系をある程度構築したが、実際的にはその体系は殆ど稽古されておらず、特に戦後はスポーツ競技乱取り主体の完全スポーツ武道に変容している。そしてまた確かにある程度の体系は持っているが、組織化し、大衆化の為に実際に武術として使う必殺の極意技法、危険な祕傳技は殆ど完全にカットされてしまっている。これは一つには大衆化の為といえるが、今一つの原因は開祖の嘉納治五郎自身が余り深く古流武術を学んだ者ではなく、奥の祕傳技の伝授を受けていないが為であると観察できる。


D伝授巻「祕傳書」の存在
●解説
日本古流武術の大きな特徴は武術技の継承を伝授巻を通じてなしてきた事である。これは日本の伝統古流武術のみが施行してきた一大特徴であり、他国の武術では全く観ることの出来ないものである。ところが現代武道はこの重要なアイテムを殆ど備えておらず、そして實をいえば現代における古武道と言われるものものもこの部分を消失している事が殆どあり、実際殆ど施行されていないだろう。正に現代の古武道の殆どは現代式古武道であらゆる部分が現代式で、しかも失傳ばかりでどこが古武道か分からないという流儀が多い。真に遺憾だが事実である。


E「許し」と「段」
●解説
日本の古流武術は伝授巻を通じ、そしてそこに含まれる「許し」の観念を以て修行のランクを図り、また伝承資格となした。これが大きな特徴であるが、現代武道にはそれに変わるものとして「段」発行というアイテムを造り出した。これも明治期に講道館柔道で始まった事である。変わるものと述べたが、しかし古流伝統武術の「許し」の方式に当たるものというわけではなく、両者は基本的概念からして全く異質なものである。
つまり古流武術の場合は流儀としての大きな体系があり、修行の階梯が定まり、伝授した部分の形や口傳をちゃんと目録書にして授与し、段階に応じた伝授巻を授けて「許し」となしたのである。
現代武道の「段」にも講道館の初め頃にはある程度同じような観念はあったが、しかし実際的には体系の段階に応じた許しという観念ではなく、強さに対する表彰状として「段」が授与される。剣道、合気道などは最初から段階教授の観念すらないのが普通である。


F乱取りに対する観念の差異
●解説
現代武道である「剣道」「柔道」といえども古流武術に伝わる技術を継承したもので、確かに古流剣術には竹刀打ち、古流柔術では組討法や相撲法、また乱取り法などといったそれぞれ原型にあったものが存在した。しかし両者は技法自体もかなりの異同があるが、それよりもそもそもの基本概念に相違があり、古流武術がそのような方式を基本的に武術として技術や地力を養う為の鍛錬法として施行されていたいう事である。勿論全く競技法として観念もあったが、この様な考えが主体ではなく、やはり形稽古が流儀の核とされた事は当然である。また竹刀防具稽古と真剣勝負は全く違うと防具稽古を否定する流儀も存在した。


G危険技術の隠蔽
●解説
古流武術の奥の世界は絶対に敵を倒す正にマル秘テクニックの世界。様々な独特のルール破りの技術も公案されたし、また特殊な秘武器の技術も多数伝承していた。ここは真に奥深い部分で伝承量も膨大である。
秘武器類には本当に多く種類があり、また各流儀の工夫があり、本当に様々なものが研究され、奥深い技法傳が継承された。主な秘武器術としては次のようなものがある。
@手裏剣術 A各種鎖武器[鎖鎌大小、万力鎖、長鎖、乳切木、魂飛、魂平]B角手C吹き矢D鉄扇術E大小鎌術F鐵鞭G隠し弓等……。
しかし現代武道においてはその危険度、異常性故に殆ど勝ったされた世界である。現在正真の古流武術、その中の極一部の流儀のみがこの驚くべき古の祕傳法の世界を伝えている。


I重要な武器法の消失
●解説
現代武道と古流武術の実態としての有り様を比較すると、古流武術で体錬に最適とされて多くの流儀が伝承してきた六尺棒術の世界が殆ど消えてしまっている事である。かろうじて杖術が新制形ながらある程度行われているが、杖術と棒術とでは全くその体錬としての深さが違い、殆ど別物の武術といえる。古典的な正真の古流六尺棒術を伝える流儀が現在殆どないことは極めて遺憾であり、残念な事である。現在六尺棒術といえば琉球式の棒術がある程度行われているが、琉球式の技術と日本棒術の技術は全く異質であり、また中国式の棍法とは全く異質日本傳六尺棒術を本当に仕える人は日本にも数える程になってしまった。


J「西洋的トレーニング法の導入」
●解説
現代武道の稽古法を見ていると本当にビックリさせられる。内容的には完全な西洋式トレーニング法が大幅に導入されており、何処が日本武術か分からない。これでは確かに武術でもなく、根源的な武術スキルを養う事は不可能である。
中では「合気道」がかろうじて日本武術的な錬功法と同質のものを採用し、それを主体とした稽古を続けている。ただ遺憾ながら所詮は一部であり、そしてその侭ではなく、幾分歪められた部分もある。
余りやりすぎると自己の体を壊す危険があるだろう。特に余り烈しい膝行や受け身は晩年に自己の体に帰ってくる可能性が高いだろう。


●「日本古典武術の本質」
色々現代武道とは全く異質なる日本伝古流武術の特長を述べてきたが、世界的な立場でその本質に迫ってみよう。
中里介山が絶賛する様に確かに日本は武術の天才国である。本当に長い伝統を持つこれだけ深い武術が極東の小島国で育まれたのは真に不思議であるが大変に素晴らしい事であり、そしてそこに神意、神謀があると考えられる。
世界最古の統一王朝に世界最古の超絶武術が完成した事は決して偶然ではないと思うのである。
他国にもある程度民族的な古式武術は存在している。確かに凡そ武術のない国など確かに存在しないはずである。しかし長い伝統あると喧伝する中国武術も現存するものの殆どは清朝末期に編纂されたものばかりである。そこにはある程度の歴史的な伝説はあるが、しかし遺憾ながら所詮は伝説であり、実際の古い時期の武術内容を著す史料は殆ど残っておらず、古典証明は殆ど不可能である。
日本の古流武術の大きな特長は流儀の開祖からの代々の継承者が流儀の修行者に対して伝授証明と古典保持の為にそれぞれ多様なる流儀の伝授巻を発行してきたと言うことである。
こんな事までをなした武術は世界に類を見ることは出来ず日本武術の一大特長であり、そして日本武術のみが正真の古典武術として絶賛される由縁でもある。
つまり他の国の武術は古い伝統があると称してもどれだけ古い時期から古典が正しく継承されてきたかと言う事は不明であると言う事である。


「実戦性」
日本が武術の宗主国として全世界から絶賛されるのは明治以降に海外に紹介された日本の武道が、その超絶的な実戦性を実際的に証明してきたからである。明治、大正期は講道館柔道の猛者が多く海外に進出し実際に諸外国の格闘者を投げ飛ばし、世界を震撼させた。現代武道としての講道館柔道修行者が多かった事は事実であるが、勿論古流柔術系の者もおり、そして当時の柔道修行者は古流柔術の修得者が多くいた事も事実である。そして彼らは実際無茶苦茶強かった。諸外国の格闘者たち、ボクサーやレスリングの強者と闘い、すべてを鎧袖一触したという前田光世やロシアに柔道を伝えサンボの原形となった広瀬師範などの強者の闘いぶりは正に語り種である。
殆どすべての国が古伝の刀剣術を捨ててしまった中で日本の剣術は近代軍隊の中でも生きて闘い、その威力を諸外国の軍隊に見せつけた。
世界最古にして世界最強の日本武術。戦前までの日本武術は明治以降の近代式のものであっても江戸期武術の技術と魂を継承し、本当に強かったのである。GHQが恐れ、何とか日本から実戦古典武術を隠滅し、牙を抜こうと画策したのは当然といえば当然である。

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