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似非保守論説の歪みを糾す チャンネル桜の問題番組を考える
事始め
問題番組を考へる
ポイント解説
護国日記23/5/15
論説21/8/8
保守派論説の歪みを考える21/8/25
GHQ武道を超えて
売国奴有名人名簿
救世済民日本憂国慨世の会
 
 
 解説1「水島社長の司会」 
 解説2「左崩れの右」 
 解説3「古武道とは」 
 解説4「外国人に対する武術指南について」 
 解説5「チャンネル桜の武道番組」 
 解説6「日本伝捕手術」 
 解説7「合気道とは」 
 解説8「鹿島神流について」 
 解説9「平賀源内のドラマ」 
 解説10「日本刀の竹目貫」 
 解説11「平田弘史記事」 
 解説12「劣化の推移」 
 解説13「古武道の隠蔽」 
 解説14「斬首刑について」 
 解説15「譬え噺」 
 解説16『魏志倭人傳』 
 解説17「なぎなた道」は 
 解説18「自衛……それだけでは」 
 解説19「ラストプリンセス」 
 古傳十二大秘劍解説 

●問題点3
「古武道」「古武術」とは
チャンネル桜のキャスターの言葉に「古武術とは厳密には江戸期以前の武術……云々」の訂正があったが、確かにこれに類した事を我が電話で抗議し、またメールなどでも指摘した事であるが、これは些かニュアンスが違うのである。「厳密には」ではなく、「基本的には」と言う事だろう。
正しく言えば「古武術、古武道とは基本的には、もしくは慣例的には江戸期から伝承してきた武術を指すのが普通の捉え方である……」という様な説明になるだろう。

しかしながらこれを「厳密には」と言ってしまうのは勿論宜しくない。
厳密には必ずしも江戸期のものばかりとは言えず、また言葉には広義の意味合い、つまり「単に古い武術」と言う意味合いもないわけでなく、その意味を用いれば範囲はぐんと広くなる。しかしこの様な遣いは極々一般的な意味合いとして許されても余り恣意的に用いるとそれこそ共通した認識が無くなってしまい混乱が増すことになる。
そこには厳密な定義とは言えない迄も多くの慣例があるのであるから、ある程度はそれに従うべきである。少しこの点を論じておこう。
先ず「古武道」と「古武術」と言う言葉があるが、両者は殆どイコールである。ただ日本の大きな団体としては「日本古武道振興会」が戦前からあり、また三十数年前に「日本古武道協会」なる組織が日本武道館に存在し、この両者が大きな所であり、また各地に地域で纏まった「何々古武道連盟」的なものもある。要するに多くの場合、つまり慣例的にはは「古武道」の方が多くが用いられていたわけである。しかし実際の古武道は「何々流●●術」と名乗る流派が殆どであり、「古武術」もしくは「古流武術」と言った方がかなり近しいとも考えられる。これらは結局大体は同じものとして捉える事が出来るだろう。
近年少しまた微妙に違った意味合いで遣われる例も出てきて初めているが、これは実は日本の伝統を破る勢力によって若干歪められた用い方と思われるのでその用法はここでは採用しない。
それで日本における各団体における伝統古流武術としての古武道の捉え方であるが、正に「厳密には」と言うより「基本的には」と言う捉え方で「江戸期に成立してその古典を継承してきている武術」と言う様な定義となっている事は事実である。しかしこれは正に「厳密」過ぎる区分けでもある。中々にボーダーラインの流儀もあるのである。
また古武道を定義する特徴と要素が他にも幾つかあり、結論的には総合的に判定されるわけである。そしてその判定に組織、また人によっては多少の異同がある事も事実である。しかしそれはグレーゾーンでの取捨であり、ホワイトとブラックの部分にそれほど異論があるわけではない。

厳密の難しさ
古武道の成否は余り年代だけでは厳密に区分けする事は難しい。何故なら総て人間がなすことであり、また証拠文献の有無も含めて曖昧な空間もあるからである。
グレーゾーンの流儀を考えると、明治以降に流名を名乗った山岡鉄舟の「無刀流」があるが、内容的には江戸期と殆ど変化なく、様式は正に古傳武術である。強いて言えば江戸期の歴代の継承に多少の変化をみた小野派一刀流より古伝を継承している部分もあるのである。伝授巻その他も完備しており、無刀流は大体は古武道として分類される。
次に佐竹茂雄師範が伝え、園部秀雄師範に継承された「直心柳影流薙刀術」もやや微妙な所のある流儀である。同流は江戸期の傳書は発見されておらず、文証的には若干の問題が全くないとは言えない。しかし明治十九年の傳書は現存し、現在伝わるものと殆ど同じ内容である。伝えたのは幕末の侍の娘、佐竹茂雄であり、このあたりは正に江戸期に行われていた古伝武術(薙刀術)を殆どその儘継承していると考えて良く、やはり古武道の範囲に入れるべきである。
ただこの直心柳影流は次代の園部秀雄師範によって直心影流薙刀術として継承された。同流においては歴代多少の流名の名乗り替えがあり、その中でも尤も普遍的な直心影流に復したと考えるべきもので、流儀で内容自体は殆ど異同なく、古典武芸が受け継がれている。やはり現代に通ずる直心影流薙刀術は正統な古流武術として取り扱われるものと考えられる。この点各古武道団体も、識者の判断にも余り異論はない。但し直心影流剣術の継承者の中に異論を唱える人もいないではない。確かに江戸期の傳書が発見されていないという問題があり、その論にも一理あるが、年代的推移を鑑みるとやはりこの流儀は古武道の範疇であると我自身も判定する。実際様式は古武道そのものである。
次に明治三十年に傳書が残っている大倉傳浅山一傳流があるが、これは大分微妙である。
年代も微妙であるが、やはり江戸期に生きた侍が伝えた古い流儀であるとして伝承されており、やはり古武道として捉える向きもある。しかし実は内容的には少し近代的な部分も窺え、第一に江戸期の古流武術特有の所作による厳密な組形文化の要素がやや薄く、明治に流行った護身術的流儀となっており、古武道の範囲に入れる事を反対する向きもある。同じ様な流儀としては大阪に伝わった一心流や和歌山に伝わった武内流などがある。
これらがかなりグレーゾーンと言える。小さな地域古武道団体では古武道して捉えられる向きもあるが、古武道振興会、古武道協会には入会はてしていない様である。我としても厳密な意味では古武道の範疇には入らないかも知れないが明治の業を継承しているのだと言えるのであり、「明治の古武道」という分類があっても良いかも知れない。

次に大東流の問題であるが、伝書自体は明治三十二年以降のものしか発見されていない。実際同期くらいに体系化されたのではないかと考えられる。そして元々は大東流柔術であったが、大正の終わりから昭和の初めにかけて「合氣」のワードが被せられ「大東流合氣柔術」となった。この系も現在では幾つかの系に別れ、内容的にかなた崩れ、現代的に再編成されたものなっている。実際厳密な形文化を保有しない所が殆どあり、また形文化も昭和になっての編成である。古武道大体ではその中でも古典的にて正統派に近いものを古武道として分類されている事が多い。ただこの点は筆者は反対であり、現在多く行われている大東流は古武道の範疇には入らないと判定するものである。内容的にも現在行われているものは「明治の古武道」にも入らないと考える。

 

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