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●『日本の武道』の中の「日本の古武道」に於ける驚くべき解説
日本武道館の発行した『日本の武道』の中に古武道の解説頁がありました。
色々妙な事を書いています。少し抽出してみましょう。

@「古武道は、その発生の経緯がさまざまであり、流派によって色々特色があります。発生については、平安末期から室町期にかけてのものが多いとされていますが……」
やや意味不明の文章。しかし各古武道の発生の時代を言っている様であるが、平安末期から室町期が多いというのは?です。
日本の古流武術は江戸期に入って膨大な数の流儀が創流されたのであり、平安末期から室町期に出来た流儀は限られたものしかないと思う。


A「野見宿禰と当麻蹴速の力比べの話があるように、神話の時代から存在しました。」
あの、野見宿禰と当麻蹴速の闘いは推仁天皇の御代の事なんですけど……!


B「大陸の影響を受けながらも刀剣や弓に代表されるように、武器の形状は日本独自の発達を遂げていきます。例えば中国の直刀から、反りのある湾刀へと発達・進化した日本刀は、独自の形状と用法を現在に伝えています。」
中華の刀には直刀もありましたが、湾刀もありました。だからこの点は日本のみが独自に進化したとは必ずしもいえません。ただ日本の刀は細身の湾刀で、そして諸手柄で遣う点が独特であり、この点を指摘しなければ意味がないと思います。また日本独特の鎬造りも日本刀の特徴です。そしてやがて打刀拵えと言う究極の形態を造り、日本傳居合術と言う独特の世界を築きました。この点が重要な点であると思います。


C
そして同書は続けて次の様に説きます。
「日本の和弓についても、独特の形状と特別な技術を誇っており、誰もが簡単に射てるヨーロッパのアーチェリーと大きな違いを見せています。」
違いの説明が意味不明ですが、それよりも論の流れからいえば何故にヨーロッパの弓と比較するのか疑問です。日本の弓とヨーロッパの弓とは関係がないので技術の違うのは当たり前であり、そしてやはりどこか違うか分からない。日本の弓も根本原理は同じなので射る事自体は別に難しくはないと思います。
そしてやはりこの文の流れは原型を大陸におき、そこから日本独自の発達をなしたと置きたいわけであるかから、中国弓とは違う和弓の独自性を述べるべき部分かと思います。
つまり、日本の弓は下側が短く、上を長く取った独特の形状であり、中国弓とも、そして諸外国の弓とも違う、全く独自の形態であると言う事。この点を指摘しなければ殆ど意味がないのでは? しかもこれは時代を降って変化したのではなく、中国の史書、「魏史倭人傳」にも書かれている事であり、この様な古い時代から日本の弓は既に独自の形態であった事がわかります(解説16)。だから弓の原型を大陸弓術におく必要はなく、日本武術は独自の存在であったという一つの例証となる部分だと思います。


D「『鹿島太古流』『鹿島中古流』として今日まで連綿と伝承されています。」
意味不明な文章ですが、その様な流儀は今日まで連綿と継承されてはないと思います。
また余り「鹿島太古流」という言葉は知りません。「鹿島上古流」の事でしょうか。


E「多くは家元制度という伝承形態をとるようになってゆきました。」
あの、家元制度、その背景になる組織化的な事をやったのは日本の武道としては明治の講道館柔道が嚆矢であり、江戸期では殆どなされる事はなかったと思います。それが古武道、即ち江戸期以前の流儀武術の有り様の大きな特長であるのですが。


F続けて同書は次の様に述べます。
「これは武術が、他の伝統芸能によって洗練化された事を意味しており、この後、武術は、より高度化してことになります。」
意味不明。柳生宗矩が能の足運びを研究し、新陰流に取り入れた等言う逸話もないとはいえませんが、どうもこの事をいっているのではないようです?


G後細かい疑問点が多々あり、また特に流儀の内容解説においてはかなり胡乱な著述が目立ちます。思うに流儀の内容について余り立ち入った解説を成す事は余り宜しくないと思います。色々な解釈の仕方があり、また流儀の段階的な教えの変化もありますし、また勿論祕傳の問題もあります。
他の流儀については疑問点も多いですが、我自身も門外漢として余り立ち入らない事として、我の専門である二天一流についてのみ述べます。
「二天一流といえば二刀流を連想しますが、優れた一刀の技も伝えており、一刀の形の中には新陰流や一刀流、念流などの影響を感じさせる技が伝わっています。武蔵が当時の剣術流派を深く研究し、独自の二刀剣法を加えて一流を創始したことがわかります」
いや、そうではないのですけれど。これは山東派二天一流が伝えている一刀勢法の事を言っていると思いますが、これは武蔵の死後に付加された傳です。そして二刀剣法そのものは武蔵家傳の当理流剣法がらきたものです。


[21年8月17日記]


日本武道館発行の『日本の武道』の「日本の古武道」の部分の批判をなしたが、他の部分を読んでみるとこれは輪を掛けて酷いのであり、本当に驚かされるのである。序文や最初の概論解説を色々な大学教授等がなしているが、殆ど日本武術を知らざる者、いや日本の文化、そして日本語を知らざる者の著述である。谷沢栄一氏の言葉を借りれば、「無知と知ったかぶり、そしてあてすっぽのおんパレードであり、そのあてすっぽを悉く外してしまっている」と言う惨状。そしてそれは「学問を嘗めた態度」と言う事であり、正にその通りかと思う。
また世には「概ねはその通りだが、しかし厳密には間違い」と言う事が多いが、正にその通りの解説である。若しくは何を言っているのか分からない胡乱な文章と解説。全く妥当ではない著述、そして完全な間違いの羅列であり、これは確かにド素人の解説である。
何故にこの様な事が起こるのか。我は今ド素人の解説、文章と述べたが、素人が知ったかぶりで書くとなると第一次文献に当たらず、人の書いたものの編集して纏める事が多いわけであるが、しかし原典批判がないが為に多くの先行文献の間違いを引き継ぎ、若しくは誤解してより歪みを増大して著述してしまう事が多いのであり、これが素人文章に多くありがちな事である。
また各人色々な思い込みもあり、自己の歪んだ思想が文章に映ってしまい、全くもって歪んだ日本武道像を描写してしまっている。
この様なものが横行するが為に次第に一般に於ける日本武道像が歪み、正しい判定が出来なくなってしまってきたと言う事であろうかと思う。
戦後六十年以上、その様にして日本武道の認識が歪められてきたのだろう。戦前も勿論多くの歪んだ素人文献は膨大にあり、間違った情報は多く流れていたかと思うが、しかしそれを正すのが本来の学者の仕事であり、一応権威有る大学教授の書くレベルは戦後とは比較を絶して高く、それに依ってある程度の正しい認識は保持されていた。それが戦後六十何年か経ってのこの体たらくは学者のレベルの極端なる低下と言う事かと思われる。学識の低下と共に人格の低下であり、為にする為の歪んだ論説を自らが造り出している。学識低下の為か、人格低下の為の確信犯であるかは若干不詳だが、多分両方であろうかと思う。
我は他の分野の大学教授の内実は不知なのだが、武術系の著述はかなり低い、ではなく極端に低い。書いている文章の稚拙さをみると人格の問題もあるが、やはり学識低下が主原因だろう(しかし何割かは日本文化の消失を画策した確信犯が潜むと考察する)。ともかく武術系のみならず、全般的にかなり程度が落ちているのではなかろうか。

「膨大すぎる」
さてさてそのそれでは実際に何処が間違っているかと言う事であるが、膨大過ぎて指摘しきれない。最初の最初から問題点ばかりであり、赤線を引くと頁が真っ赤になってしまう。といってやらないとわかって貰えないし、仕方がないので、重要な部分から時間を掛けて徐々に指摘して行きたい、つまり徐々に書き足して行きたいと思う。
いや重要な点と述べたが、全体を通じていえば、細かい点が徐々に奇怪しく、全体的にかなり歪んだ著述となっているものが多く、だから重要部分と言う判定も難しい。仕方がないので、重要云々は少し別として思いついた部分をランダムに徐々に指摘してゆく事とする。


一、「武道憲章」の問題
最初に「武道憲章」なるものがあるが、稚拙にして妙な日本語の羅列であり、我は存在を知らなかったが、誰が作ったのだろうか。戦前の教育勅語や軍人勅喩を真似たものだろうか? しかし真似たといっても猿まねであり、格が余りにも違いすぎる。
疑問な点を少し上げてみよう。
@「武道は、日本古来の……」と云う日本語には問題ないのだろうか。日本以外にも「武道」はあるんですけど。
A「術から道に発展した」
意味不詳。「武術」から発達して「武道」になったと云う意味か? と云う事になると「武術」は発達していない幼稚な文化と云うことになるが? その発達の意味合いが不詳である。この点は嘉納治五郎語録を胡乱に引用したものだが、大変に問題のありすぎる部位であろうかと思う。また後で本格的に分析してみたいと思う。
B武道を日本の伝統文化として位置づけている様であるが、これも胡乱な著述である。その武道と云うものの実態はと云うと、同書としては所謂「柔道」「剣道」「合気道」「空手道」「なぎなた道」「弓道」「少林寺拳法」などの事を指している様である。果たしてこれらは日本の伝統文化と分類して良いものだろうか? 色々な解釈と捉え方があろうかと思うが、我は、特に戦後のそれらを必ずしも日本伝統武道の一端として捉える事には反対である。
C「武道は、武技による心身の鍛錬を通じて人格を磨き、識見を高め、……」
第一条であり、「目的」条項なのであるが、「目的」云うより「努力目標」と云う感じのものであり、また「識見を高め」と云う様なものは武道との直接的な関係は認め難い様に思われる。武道に於ける第一義的な目的とは考えにくい様に思われ、不審な文章である。武道とは身を守り、また他者を扶け、自己の愛する者を護り、そして国を護持する礎となるべきものかと考える。
D第三条の文言について、我もこれが間違っているとは思わないが、しかしそれでは「柔道」などは既に武道ではないことになるが、日本武道館としてどのような認識をされているのだろうかとは思った事である。見解を伺いたいものである。
E第四条も間違いとは思わないが、現代の武道は殆ど守られてはいないようである。


二、「杉江正敏」
36頁から「日本の武道」と云う題で大阪大学の杉江正敏教授が書いているが、疑問な文章が目立つ。いちいち指摘したいが一から十まで不審かつ胡乱な解説でいちいちやってられない。目についた大まか部分のみと上げる。(指摘した部分は極一部であり、全体を通じて奇怪しい文章であり、困った事である)


@「室町中期から戦国時代にかいて、戦技や護身法として確立された剣術、弓術、槍術などの武術は、近世に入り、世の中が安定し平和な時代が訪れると、徳川幕府の文武奨励政策のなかで、徐々に武士の素養として『術から道へ』の転化を始める。併せて、それぞれの武術が流派化し、流祖の教えを「型」や「伝書」を中心として伝授、継承する方法が整えられる。」
武術は昔からありましたが、「室町中期から戦国時代」と云う期間と確立されたと言う謂からいえば、流儀武術の確立をいっている様に思い、これは正しいけれど、しかし後の文では江戸期に入って武術が流派化しと云う風に述べており、整合性がない。型や伝書を通じての方法論の確立は既に室町期に確立しており、不審な解説である。そしてまた「術から道へ」の転化と云う謂が此処でもでているが奇妙である。
「術から道へ」と云う様な謂は確か嘉納治五郎師範の謂であったかと思うがニュアンスが違うのではなかろうか。後世のものが拡大解釈して恣意的に用いて、此処に混乱が生じている様に感じられるのである。


後も間違いが目白押しであるが、全て書いてられないので徐々に書き足す事とする。


ランダム
どうも一つ一つ取り上げるには余りにも大変であり、気がついた部分をランダムにとあり上げる。


@95頁コラム
「この『琉球差し』とは琉球(沖縄)藺草のことで、粗野なのですが、丈夫さが特徴で……云々」
こんな文章はあるでしょうか。「粗野」と言うのは普通は人間に対する譬えと思いますけれど。
また全体を通じては(文章は原典同書をみてください)「柔道場」と言う言い方は当時なく、やはり演武場と言い方が主体だったでしょう。それはともかく、畳導入が幕末と言うのも不審な部分で史料なくあてすっぽを言っても考証にはなりません。そしてすぐ後に関口流の畳稽古場の事が述べてあるのは論理矛盾した文章でもあります。関口流は江戸初期の流儀です。勿論元祖の時代から畳稽古していたと言う事も必ずしもいえませんが、元祖が受け身を工夫したと言う逸話を合わせて考えると江戸初期から畳を導入していた可能性は高いと考えられます。江戸のリッチな文化と地方の古伝的なやり方などを鑑み、いま少し妥当な考証をすべきかと感じます。
ともかくそれより先にちゃんとした日本語を書いてくれる事を望みます。

[21年9月6日記]

うどん
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剣王会
琉球拳法
和義
二刀流
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