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似非保守論説の歪みを糾す チャンネル桜の問題番組を考える
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「たかじんのここまで言って委員会」の「あの戦争は何故起こったのか?」

http://www.youtube.com/watch?v=XRSsNO79_Fk&feature=related

日記にも書いたが、今回のものは中々に問題番組ではないかと思い少し考察し、我の考えを述べてみよう。
「ここまで言って委員会」は何方かといえば割合優良番組で、ちゃんと保守派も出してしゃべらせている事はよいと思う。番組の造りも大体は面白いし、関西系の洒落も程々に効いており、東京にいてもネットで時々楽しませていただいている。勿論それほど真面目な極限的な討論番組と言う程のものではない。
多少オチャラケてもよいかと思うし余り文句を言う筋合いでもないが……とは思いつつ、ただ大東亜戦争の事は重い問題であり、やはりある程度は真面目に討議しなければ成らないと考える。番組的にも大高女史や金女史、三宅久之氏なども出ているわけであり、保守派論客に不足はないと思っていたが全体を通じてはかなりがっかりした。
特に我は三宅氏の論説は今まではバランスが取れていて中々よいと思っていたのだが、今回の謂はいただけない。以前三宅氏は戦前の軍隊の劣等を指摘されており、それはその通りと我は思い共感していた。我は戦前の日本軍隊が最高とまでは思っていない。司馬史観の信奉者でもないが、しかし明治大正の期に比べると昭和期の軍隊の質がかなり低下してしまった事は紛れもない事実であろうかと思う(その大きな原因は当時かなり既に日本の武術が劣化しており、ちゃんとした伝統武術を修めている兵士が極めて少なくなってしまっていた事が大きな原因と我は見る)。よって昭和の軍は多少の不始末があった事もある程度は肯定的である。特に南京事件時において……。
それはともかく、今回の三宅氏の論は酷すぎるのではなかろうか。金美齢女史の謂も少し不満ではあったが、しかし色々な考え方、捉え方はあってもよいのではないかと思うのである。
ただ三宅氏の「中華に突きつけた二十一ヶ条は酷すぎる」と言う謂に対して誰も文句を言わないのは如何なものか。これではまるで左翼が言う中華に対する侵略戦争を肯定するが如しではなかろうか。大高未貴女史も大和撫子過ぎて少し不満が残った。流石にこれには一声張り上げて欲しかったとは思うのである。
「三宅さんが読んだと言うその二十一ヶ条とはどの版の二十一ヶ条なんなんですか?」と。いや、「『二十一ヶ条要求』などというものはそもそも存在しません。それは中華の捏造です」というべきであるのかも。
当時の日中外交の条件の交渉においてその様な要求がだされた事は事実であり、それは国対国の利権を争うものであるのであるから、ある程度の要求を日本が成したことは事実である。しかし要求と言うより、単なる希望の条項もあり、それらを含めて外交的な立場で色々交渉していたと言う事であろうかと思う。ところが、要求ではない単なる希望条項までを含めて、本来だすべきでは無いところまでを含めて、「こんな要求を日本は突きつけてきた。酷すぎる。こんな国が東洋の末端にあるのを貴方たち(欧米諸国)はほっといていいんですか。大変な事になりまっせ」と欧米諸国に告げ口、喧伝したのが中華であり、それが彼らのやり口であった。それも条項その儘ではなく、原典はあったが、それを改竄してかなり酷いものに造り替えて嘘の宣伝したのが中華なのである。だから三宅氏に対して「読んでみたと言うのはどの版ですか? 中華版なのでは」と訊いてみなければ成らないのである。
実際的には日本が試案として出した要求条項の原典はそれほど無理な要求はなく、当時の日中の状況から考えるとある程度妥当なものであると我は思う。そして要求と言うより一般には公開しない希望条項もあったのであるが、それもそれほど悪辣なものではない。勿論その判定(つまり悪辣か妥当か言う判定)にも各人各人色々な論と意見があろうかと思うが、しかし元とする原典の版そのものが違っていたのでは話のステージが違ってしまう。
これは重要な事であり、中華が条文を改竄してまで嘘の情報戦をやっと言う事。これ点を知らせずしていい加減な情報を流すことは宜しくない。この様な胡乱な情報を垂れ流す事はややバラエティ番組的要素があるとは言うものの少し如何なものかと思うのである。
三宅氏の論は今までは大体バランスの取れたよい論であると思い、ある程度評価していたが、今回の事は大いに宜しくないと指摘して置きたいと思う。簡単にいえば支邦人の言う事を鵜呑みにしては駄目であると我は思う。
後は金女史も、そして勝谷氏の言う批判もある程度わかる気もするが、やはり「後から裁き」なのではなかろうか。大東亜大戦と言う巨大歴史に白黒付けることは中々に難しく、単純な感情論も慎むべきである。
三宅氏の言う通り戦中の暗さと息苦しさは全くその通りだっただろうと思い、その部分にはかなり首肯する。しかしパール判事も指摘しているように日本最大の国難に邁進している時にある程度の情報統制は致し方なかった事であろうかとは思うのである。
やはりその様な時はどうしても全体主義にならざるを得なかったであろうかと思う。かくした暴走を阻止出来たのは昭和天皇のご威光のお蔭の部分が我は多いと思うがここまで述べるとまた論がややこしくなりすぎるのでやや控え、この点はまた別の機会に述べたいと考えている。
もっと基本的な事を述べれば全体を通じて、右も左も大東亜戦を否定的に述べている事が大いに気になった所ではあった。大高女史の「自衛」と言う謂もやや消極的な評価で残念である。当時の日本人はもっと純粋で、お節介にももっともっと巨大な事、大義や正義と言うような事を強くを考えていたのではなかろうか。
田嶋女史の言われる通り、「色々言っても二千万人が死んでいる」と言うのも確かに紛れもない事実である。しかし実際に殺したのは誰だろう? 
そして大亜細亜の余りにも歪んだ当時の状況の中で明治以降、日本と言う国が立ち上がらなかったら、日本軍が欧米列強の差別意識による横暴に対して死に物狂いで戦ってくれていなかったら今日の我等の、こんな平和で豊かで呑気な、とぼけた世の中は果たしてあったであろうかとは思うのである(ただそれも近々終わりそうな気がするのだけれど)。そして亜細亜諸国の状態は? 日本も含めてそれはかなり本当に悲惨なものがあったのではなかろうか。
そのような日本における歴史的な大業績、大功績の部分が殆ど語られなかった事は如何なものだろう。この点番組としてもバランス感覚を大いに欠くのではなかろうか。
最後の「もし日本が戦争に勝っていたらと」という設問も如何なものかと思うが皆の答えは余りにもトンチンカンである。日本は決して米国戦に負けてなんかいないのだから。
それよりも寧ろ「日本があの時、より忍んで宣戦に踏み切らなかったら」という設問をなすべきではなかろうか。当時の状況下の日本で出来ようもない選択ではあるが、その様なイフを設けて考えればあの戦争の意義がある程度見えてくるのではなかろうか……。


いつも割合評価してきた「たかじん」番組であったが、今回は少し胡乱な部分が多かったと少し苦言を呈して置きたいと思うのである。


●追記1
番組を改めて見直したのだが、やはり問題点が多い。はっきりと三宅氏は「対華二十一ヶ条要求を突きつけ」と言っている。これは間違いである。そして「極秘に突きつけたが、忽ち公開されて世界が日本の帝国主義に……云々」と云う言い方をしている。
これらは左翼系のすり替えの謂であり、実際はちゃんと要求条項は世界に発信したが、希望条項は希望段階であるが故に特に世界に発信しなかったと云う事である。ところが支邦はその要求条項にプラスして希望条項を酷いものに書き換えて捏造の発信をしたと云う事であるはずであり、三宅氏は左翼の書いた裏工作煽動に完全に乗った発言となっている。
「またそれからのちに中華の留学していた為政者が帰国して反日、抗日に成って行く」と云う表現も微妙であり、やはりこの時期より中華の卑劣兵法「夷と夷を戦わせて漁夫の利」作戦が発動し始めたと云う事ではないと我は思う。
もう一度いえば本来の日本の要求、原文そのものは当時の状況から考えて全く妥当なものであり、決して悪辣なものでは全くないのである。そして希望条項の方は支邦との交渉の中で多くが省略される事になったはずである。実際的に交わされた要求は全く妥当なものである。大高女史をはじめ、誰もこの点反論しないのは問題、大問題である。
次に金女史の謂であるが、最初の観念が大戦を否定的に捉えた論調であり、残念に思うのである。そしてたかじん氏がしきりに同調していたが、日本人に奢りがあったかどうかであるが、少し決めつけ的発言なのではなかろうか。我は決してそんなことはない、いやそれほど、決して奢ってはいなかったと考える。大きな戦争を何度も経験してきて戦争の悲惨さ、怖さを本当に知っているのは軍部の方ではないか。支邦事変の時でも、また日米戦争開戦の前でも決していけいけどんどんではなく、かなり慎重に堪忍の二字を成していたと思う。
次に勝谷氏の論はいつも中々ユニークで面白いし、今回の論も半分はその通りと云う感覚は我にもある。つまり戦争地域を余りにも広げすぎた反省は勿論あってもよいし、それは確かに半分はその通りだろう。ただ勝谷氏の云う事も意味不明な感じが多い。南の辺に向って行けば、石油などが入手できるかどうかであるが、やはりかなり難しい部分があるのではなかろうか。確かに石油に限らず、様々エネルギー資源は世界の東南辺にもある程度あろうかと思うが、それは現代の段階と、現代の科学において判明し、可能に成ってきた事である。それに「中韓を相手にせずに」云うのも感覚的にはその通りで感情的には賛成したいが、しかし現実的にはやはり赤化防止の防壁として中韓問題は重要でほっとくわけにはいかないだろう。
それから……と未だ未だ謂いたい事はあるが、それより先にここまで酷いとこの番組自体の問題があると感じられる。我はこの様な番組造りも決して悪いとは言わないが、しかしこれは生放送なのだろうか。生だと大分難しくなってくるが、しかし番組の勝手な造り放し、無責任な垂れ流しは宜しくない。せめて専門化(学者)にみてもらってある程度のフォローを成すべきと感じる。もし生ならば、次の週くらいに問題点の訂正を成す事が重要である。


●追記2「金美齢女史」
金美齢女史の論を再び聞いたがやはりかなり違和感を覚える論である。「勘違い」「思い上がり」「いけいけどんどん」「暴走」「国力の差異がわからない」「無茶苦茶になるのを予想できなかった……」「思い上がりに対する諸外国の対応、それに対する日本の抵抗」云々……。
後世の答えの分かっている者が当時の必死に生きた者たちをこの様な謂で批判する事は如何なものだろう。
勿論色々な捉え方、解釈があり、色々な意見があってよいとは思うし、意見を述べる事を否定するつもりはない。
しかしそれならば我もまた我の解釈を述べたいと思う。
「そんなことは決してなかったと思う」と。「国力の差異はかなり十二分に分かっていた、分かりすぎるほど分かっていたのではないか」と。そんなことは当たり前の事ではなかろうか。当時の日本人はその様な愚民では決してなかったと我は考える。
勿論当時は原爆など予想も出来なかったとは思うが、戦う以上は大苦戦になること、また敗北する可能性、それぞれ恐るべき痛みを伴う事は誰でも予想できる事であり、それが最も分かっていたのは軍部であったのではなかろうか。日清、日露と戦い、戦争の悲惨さを最も実際に体験してきたのは当時の日本軍であり、実際の痛みを受けたのは軍部、兵士たちである。
そして「いけいけどんどん」などといえば当時の当時の為政者も怒るのではなかろうか。戦争を成していけば大変な事になるからそれを抑えようと日本が如何に必死の努力していたかは当時の歴史を詳細に調べれば痛い程わかるはずである。戦争は己一人で出来るわけではなく、相手国の余りの、繰り返しの行き過ぎ行為に応じて日本はやむなく対応したと云う事であると、ある程度は歴史を勉強した立場(我の専門は江戸期であり、近現代史はかなり弱いけれども)で判定する。
「思い上がりに対する諸外国の対応」と云うのは一面的にしてかなり厭味な謂であるが、日本が国際連盟で「人種的差別撤廃」を訴えたのを「思い上がり」と取るならば我も何をかいわんやである。
しかしそこを無理していえば、それはやはり必死の思い、正義の心、東亜における日本の立場があったと思う。確かに此処に前大戦の根本原因があった事はその通りであり、それを因として確かに後の大戦争に繋がったのである。
日米戦争開戦の時も、それがどれほど酷い結果になるか、全くわからなかったとは我は思わない。いや逆にそれが完全に分かっていたとも思わない。そんな事が分かれば神様である。
完全な予想が出来ないのが当たり前であり、その様な中でも正義の為に、誰かがやらねば成らない事であったと我は思う。それを「愚」云うならばしかりかも知れぬが、しかし後世の我々がそのような批判を単純になす事の方が思い上がりなのではなかろうか。
そしてその時の日本は本当に必死であり、今の腑抜けた為政者とは違い、少なくとも卑怯ではなかったと、少なくとも我のみは考える。

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