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解説16「魏志倭人伝」 『魏志倭人傳』の中に次の様な著述がある。 「その風俗は淫らならず。男子は皆露かいし、木綿を以て頭に招け、その衣は横幅、ただ結束して相連ね、ほぼ縫うことなし。 婦人は被髪屈かいし、衣を作ること単被の如く、その中央を穿ち、頭を貫きてこれを衣る。 禾稲・紵麻を種え、蚕桑緝績し、細紵・ケンメンを出だす。 その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし。 兵には矛・盾・木弓を用う。木弓は下を短く上を長くし、竹箭はあるいは鉄鏃、あるいは骨鏃なり。有無する所、憺耳・朱崖と同じ。」 木弓の所に注目。「木弓は下を短く上を長くし、竹箭はあるいは鉄鏃、あるいは骨鏃なり。」とある。この時期、三世紀頃、既に日本の弓は下が短く、上が長い独特の形態であったわけである。そしてこの時期既に鉄鏃を用いている事も注目点だろう。 そして何よりもそれを見聞した魏の遣いの者がその日本弓術の特徴を巧みに捉えて正しく報告している事も凄い事であり、的確な指摘には驚かされる。やはり古代世界においても外交官は武の内容を視察して正しく捉える必要があったと言う事である。流石は『孫子兵法』の国柄である(現在の日本の外交官は、比べて余りにも劣等ではあるけれど)。 つまり日本の律令時代に中国の文物が入ってきて、それをその儘用いていたが、やがて国交を閉ざし、平安期になってから初めてそれが変化し、国風文化が醸成していったとも言われるわけであるが、弓の進化はその様な歩みとは全く性格を異としており、既に三世紀くらい、それ以前から日本独得の形態を形成していたのである。これは日本武術と言うものが日本古来から正しく伝承してきた日本古伝のものであると言う大きな左証となるものである。 これは当たり前の事であり、日本は古来より尚武の国であり、「武」の威光により国を平定し国を肇めたわけであり、つまり日本開闢以前から独得の武の世界を形成していた由緒ある国柄であったと言う事である。 勿論古くから朝鮮半島を通じて支邦とは交流があり、文化的影響があり、よい物はどんどん取り入れていた事は事実であり、極めて当然の事である。ただ武と言うものは各王朝固有のものが必ずあり、それがなければ一つの王朝を築き、永く維持する事は不可能である。
●追記 弓術の問題において、『日本の武道』の「古武道」の部分の著述は本当にいい加減で酷いと思ったが、しかし同書には「弓道」の部位があり、割合詳しく書いているのであるが、現代弓道であるので興味なく、見過ごしていたが、読んでみると酷いの一語であり、ビックリさせられた。当然の事ながら日本の弓術の特長を解説しているかと思いきや、これがかなり凄いのである。解説を引用してみよう。 「日本の弓は、太古の昔から使われ、世界に類を見ない独得の長弓です。この長弓は、約二メートル強で、縄文・弥生時代の遺跡の出土品からも明らかです。日本の弓は美的であり、芸術的にまで昇華した武器として、大きな特徴を具えており……」 この様な解説であり、その次くらいにはちゃんとした日本弓術の具体的な説明があるのかと思いきや、その様な部分はなく、ビックリしてしまった。 そのまた後にあるのかと思いきや全部読んだが無し。これは一体なんだろう? 「日本の弓は美的であり、芸術的にまで昇華した武器として、大きな特徴を具えており……」と一体だからどこが特徴なんでしょうか? 具体論がない……こんな書き方てあり?……なんでしょうか? 「美的」とか「芸術的」とかは人の感性であり、それでは西洋アーチェリーや中国弓術、他の国でみられるボーガン的な民族弓術等、それらの道具が「美的」ない。「芸術的」でないと言う事なんでしょうか。それは決してそんなことはないと思うのですけれど。 何故に我が文献を上げて解説したように日本弓術の具体的な特徴を述べられないのでしょうか。『魏志倭人傳』にその解説がある事も知らないのでしょうか。また日本の弓の特性がどこにあるのかも知らないのでしょうか? 我もこれ以上余り現代弓道にもの申す事は止めたい気持ちが強いのだけれど、ただこの様な解説にはビックリさせられた事は述べておき、そして最後の影山流居合術の継承者、宮崎雲舟師範の言葉を最後の引用して置きたいと思います。 「……昭和に成ってからであったか、弓も武徳回としてのものを作ると云うわけ、まず第一に矢をつがえて引き始める時に、打ち起しと云うて弓を高く揚げる。是を体の正面に揚げるのと、左横へ以て行くのと、古流が大別して二様になっている。そこで両派を歩み寄らして、中間の斜め左へ打ち起こす事に議決したと云う事を聞いた。 柳は柳、松は松、スミレはスミレ、菜花は菜花、千姿万態、それがそのままこの世の実相である。一見すればまとまりなきが如き差別のその中に一も動かぬ、又動かせぬ、或一つのものがあるのだが、今の世はこれを捨て、是を忘れ、是を破壞し、七花八裂、手のつけられぬ錯乱状態に突入してつつあるようだ。万人がめざすべき神光が何処にあるか」
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