『陽炎の辻』 日記でも書いた通り、他愛もない娯楽小説で力んで取り上げる事もないとは思うのであるが、同作は映像化されて全国放送され、また原作もかなりの読まれているらしい。影響力はかなりあるのだろう。かなり誤った言葉遣いや武術に対する胡乱な著述が目立つので、やはり少しばかり目に付いた部分を考えてみよう。
@「血振り」 「血振りくれた刀を鞘に納めた」と言うような記述が目立つが、人を斬って刀に血糊が付いた場合、鞘と刀を大切にするならば刀の手入れが重要であり、勿論懐紙等(敵や我の衣服等を利用する場合もある)でちゃんと拭って処理しなければならない事は当然であり、良く言われる事であるが、その前に居合研究者の立場として「血振り」の言葉の事を少し問題にしたい。岩田憲一師範がこの点を問題にし、『古流居合の本道』で指摘され、本来「血震い」でなければならない事を述べられている。概ねは我もそれに賛同する立場である。 国語的な是非は微妙な部分があるが、古文書的に考察すると、古い時期の居合文献には我の知る限り「血振り」のワードはなく、「血震ひ」の記載が多い。ただ多くの文献の中には「血振るひ」「血震るひ」や単に「血振」「血震」等の表現もあり、漢字の変化や送り仮名の異同などによってある時期に「血振」を「ちぶり」と訓まれてしまったのではないかと考察できる。ただこれは極近年の事である。また居合古文献には「血だらし」と言うような表現もある(天然理心流形解説文献等)。ともあれ恐らくは「血振り」と言うワードの遣いは江戸期にはなく、そしてやはり国語学的にも不自然なワードではないかと思う。 現在多くの居合道で使用されており、何れは固定された日本語として認定されて行く可能性が高くなっているが、確かに少し宜しくないワードではないかと思える。やはり時代小説等では古式にして正当な「血震い」のワードを用いるべきだろう。
B「備中鍛冶直江の鍛えた二尺四寸二分(七十三センチ)」 備中の直江といえばこれは基本的には地名であり、倉敷辺りで作刀した鍛冶を直江派と呼ぶのではなかったでしょうか。安次から始まり貞次、恒次、次家等が著名である。時代によって古直江、中直江、末直江などがあります。ともかく備中の直江派というのは固有の刀工というわけではないと思います。 故に本来は備中直江の某、若しくは固有名が特定できないならば備中直江の鍛冶が鍛えた刀」と言う風に書くのが正しい表記の様に思います。それからメートル表示は結構ですが、必ずしも正確ではないので、約を付けるべきかと思います。
A確かに同書の二巻以降であったと思うが「何々流居合い」と言う表現が繰り返しあった様に思う。「居合う」と言うような動詞として用いるのではなく、名詞的用法とする場合は「居合い」は拙いのではなかろうか。
C主人公の愛刀は備前国包平という事ですが、浪人風情には余り相応しくありません。今日そんな正真のものがあれば国宝です。伝来の家宝という設定ですが、余りにも……とは思いますけども。またそれだけの名刀であるならば刀の姿や刃文などの景色の説明が少しでもあるべきかと思います。
[21年8月18日記]
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