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 「時代劇における古流武術文化の隠蔽」 

●論説4「時代劇における古流武術文化の隠蔽」


解説13でも述べたが米国による占領期において日本軍の強さの最も核となった日本の伝統武術文化を破壊する為に様々な方法論が施行された。それは色々な、名称や言葉が用いられが、正に「日本弱体化政策」の一端であり、その中に3S政策と言うがあった。即ち日本人の伝統文化の変わりに「セックス」「サウンド」「スポーツ」を与え奨励したわけである。「スポーツ」以外は勿論日本にもそれぞれ伝統的なものがあるが、出来るだけ西欧式のものに変えさせた。
「スポーツ」なる文化は日本に殆どなかったものであるが、日本古伝の武道の部分に強引に当てはめて押しつけ、推進していった。
勿論スポーツと武道は根本的に違うものであり、スポーツのみで伝統武道文化の部分を補填できるはずもなく、よって戦前の武術を完全なスポーツ競技の似非武道に作り替え、ダミー武道を押しつけたわけである。戦後に現れた武道の殆どはこのシステムに添った形の、いわばGHQ武道といえるものとなっている。
占領期を終了してもその時に施した洗脳と謀略が尾を引き、憲法無効宣言もできず、以後もGHQ武道体制が護られたのである。これはGHQ式のレジャースポーツビジネス武道において利権を得たものがその体制を維持せんとした為である。
それとは別に古伝武術復興の兆しも心ある人士の間からある程度あったわけであるが、次には米国とはまた違う勢力からの裏操作がかかり、その様な芽も殆どが摘まれてしまい、日本人の意識から古伝武術の記憶が次第に消されてゆく事になる。
教育の場で武術が施行される事は絶えてなくなり、歴史教育でも武道文化の解説は全く出て来ず、最高学府の教育の場でも、教授たち自身が戦後のGHQ武道しか知らない者が殆どとなってしまっている。


「日本人愚民化計画」
教育の場での左系からの裏操作もますます酷くなり、日本の弱体化を狙う悪辣諸外国によって操られてしまっており、全く酷い状態である。「ゆとり教育」「武道実践教育の消去」「小学校で英語教育」などによって日本人愚民化計画は着々と進んでいると感じられる。
安倍首相によって「武道教育の復活」が提言されたが、残念ながら未だ施行されいないようである。武道といっても所詮はスポーツ武道に過ぎないが、その奥、あるいは超えた所には古伝武術がある事は事実であり、場合によってはその深い所と繋がる可能性は秘めているわけであり、近代スポーツ武道をやる事は決して無意味ではないと考えられる。

しかし現在における教育の場の方向性は完全に愚民化政策に向かっており、既に歯止めも効かない状態であるといえるかも知れない。


「時代劇における古流武術文化」
学校教育以外で日本人が武術文化と繋がる事の出来る一つの情報源として「時代劇」がある。「時代小説」「時代劇画」「テレビ時代劇」「時代劇映画」「歌舞伎」等にある程度古流武術が出てくる……はずではあるが、残念ながら実は殆ど出て来ない。ここにも多くの制約がかかり、やはり古流武術文化の隠蔽が行われていると観察できるのである。これらがどんな状態にあるのか、順次検討してゆこう。


「好きだが嫌いな時代小説」
正直な所我は時代小説は結構好きだが、しかしかなり嫌いでもある。矛盾の様でこれは矛盾ではない。時代小説の理念は良いと思うが実際的な実態としての時代小説は本当に酷いの一語であり、特に最近のものはろくに文章も書けず、そして歴史知識の殆どないものが出鱈目な時代小説を書いているという本当に恐ろしい時代であり、本当に恐れ入るのである。
世には時代小説ファンも多くおり、池波正太郎や司馬遼太郎、藤沢周平等を褒める者があり、ビックリさせられるのであるが、我は殆ど良いとは思わない。全て殆ど武術文化について無知な者ばかりであり、彼らの武術描写は本当に酷いの一語である。
現代のテレビ時代劇の江戸期の武道の描写は本当に酷く、全く誤っているが、しかしその根本に時代小説作家連中の無知があり、彼らの蒙昧なる描写を映して現代の誤った時代劇像が形成されたと言う事ができるのではなかろうか。


「衝撃の現代における時代小説」
池波、司馬、藤沢氏等の時代小説を酷いと述べた。そしてそれを褒める者やファンが結構多い事を不思議に思っていたが、最近その長年の謎がやっと解けた気がした。十年ほど前に大手出版社とテレビ局が主催した比較的大きな時代小説大賞的なものに理由があって、我も授賞式にはそれに招待されて、十年ほど付き合ったが、受賞作品の本をその度に頂いた。ところがそれらを読んで流石にひっくり返った。そしてまた最近、少し必要があって何冊か現代における時代小説作家の作品を読む機会があったのだが、本当にビックリ。
なるほど、この様なものが現代における時代小説であるならばかつての池波、司馬、藤沢世代の時代小説が良いと言うのもある程度頷ける。現代作家の時代劇小説は本当に酷いの一語。全く無茶苦茶な駄作ばかりであり、本当に良くこれだけの凄いものを書けるものである。比べれば確かに池波世代作品は、これらよりは流石に少しましかとは思わされたのである。


[21年8月2日記]


「シズサブロウ」
我は根性が悪くて、エラそばった立場で悪口を垂れ流しているだけなのだろうか?
いや我は文学はどの分野のものでもそれなりには好きだし良いものがあれば感動して良いものは良いと紹介したい。感動を熱くも語りたいとも思うのである。
しかし我の批評に偏向があると思われる方がいるならば、ある時代作家が後書きに次の様な事を書いているのを確認して頂きたいのである。それは「男谷精一郎」を題材にした伝記的な作品である。実際の小説の内容の感想は敢えて言わない。
しかしこの作家は後書に自分が剣道などを学んでいた事を書き、それでその様な事、江戸の文化、武道、日本刀などに興味をもった事を述べ、それがこの様な時代小説を書く基盤となった事を書いている。そして当然男谷精一郎を書くのに、男谷家も取材させて貰ったと言うのであるが、その中の話しで、戦前に直木三十五に男谷家に伝わる剣術文書や刀を研究の為と彼から頼まれて一時預けた事があったが、その内に直木氏が急死したり、直木氏の借金問題等々でとうとうその刀が帰らなかったと言う話を紹介しているのである。そこまでは良いが、そしてこの作家は男谷家の子孫、精一氏の言葉を次のように伝えている。
「実は直木さんには一本ではなく、刀を二本預けたんです。もう一本の刀の銘はシズサブロウといったと思うが、その鞘が青くとてもきれいだったのを覚えてます」
ところが何とこの作家は、この子孫の方の言葉を次の様に解説しているのである。
「シズサブロウと言う刀匠は聞いたことがなく、もしかしたら精一氏の思い違いかも知れないが、……(余りに馬鹿馬鹿しいので後の引用は略)」


「シズサブロウを知らない時代小説作家って一体……?」
この様な解説を読者はどう思われるだろうか。時代小説作家が「シズサブロウ」を知らないと言い、しかも子孫の方の何かの記憶違いではないかと言っているのである。
この作家の言う事に嘘は確かにないと思い、確かに知らなかったのであろうかと思う。しかしこの様な話しの謂では、「自分はかなり刀には昔から興味があり、かなり詳しいが、その中の知識でもシズサブロウと言う刀匠は聞いたことがない。と言う事はその様な刀匠がいるとは思えないが、貴方の間違いでは?」と言っているわけである。
我もこれ以上の事は余り述べたくない。しかしこれは我の捏造ではなく、この様な文章が残るのは紛れもない事実である(また一つ付け加えれば「刀匠」と言う謂も不自然ではなかろうか。文章の流れでは「刀鍛冶」「刀工」位が妥当かと思うのだが)。
この様な事は確かに一例ではあり、またそのような事実と小説の内容とは別と言う論もあるかも知れない……いや勿論強引に一事が万事とまでは言わないが、そして小説の内容は別といっても「シズサブロウ」と言う刀工を知らないといって不審がる時代劇作家の作品の質云々……。いやそれはやはりそれ以前の問題、……やはりこれ以上は言わずもがななのではなかろうか。


「戦前の時代作家」
現代における時代小説作家の驚くべき実態の一端を少し分かっていただけただろうか。司馬、池波、藤沢等の時代作家も武術関係は酷い部分が多いが、流石にそこまでの非常識はないかとは思う。
しかしそれでは戦前の作家とどうであったかと言うと、実は戦前の作家も事、武術と言う立場においては余りちゃんとした事を書いている作家は余りいない様に思う。尤も我の知らないだけかも知れないのだけれど。
中では中里介山位が武術の周辺文化には比較的詳しく、文章も格調のあるものであった。ただやはり武術の実際内容を知悉していたとは思ず、やはり素人である。吉川英治も残念ながら武術描写は全く酷く、日本の伝統武術と言うものを全く勘違いしている。ただ吉川英治は武術描写は駄目だが、しかし戦前の日本人の霊的感覚はそれなりにちゃんと保有しており、『宮本武蔵』では単なる肉体生命を超えた所の「久遠の命」と言うものをちゃんと描いており、これが同作が永遠の名作とされる由縁だろうかと思う。
我が指摘したいのは日本の武術は維新時に大きな断絶があり、大きな文化消失があったと言う事。残念ながら日本の武術は戦前から既にかなり劣化していたと言う事である。しかし極一部の流儀はそれでも古典の古典を細い系脈ながら墨守していた事は事実である。しかしそれが占領下においては殆ど完全に駆逐させられたと言うことなのである。
それはともあれ、時代小説は我の読んだものに限れば殆ど良いものはない。
いや、勿論総てを読まずして評する事勿れではあるが、しかしこれはかなり無理な命題で、量が多すぎて総てを読むこと等所詮は出来ないし、また我も時代小説も含めて現代における小説のどの分野も殆ど読まないが、これは元々がキライで読まないのではなく、我の目に一丁字がない為と言うわけではなく、良いものがないので、次第に読まなくなったのである。


「時代劇映画」
次には「時代劇映画」の話しをなそう。何時の時か、もう二十年も前になるが、我は雑誌に「日本の時代映画などそれほど見るほどの価値のあるものは殆どない。例外を上げれば『切腹』『上意討』『剣鬼』位だろうか……」と言うような論を書いたことがあるが、早速反論されて「他の名作の存在を知らないのか」とボロカスに書かれた事がある。
しかし文芸作品、映像作品の好悪は個人の勝手であり、我は自分の実際の感想を正直に述べるまでである。そして実際今でもそれほど考えは変わっていない。勿論他が総て駄目、全く愚作と言う事ではなく、やはりいま一つ、本当にもうちょっとちゃんと作って欲しいと言う思いが強く、その願いを込めた論評である事を分かって頂きたいのである。
しいて上げれば、黒沢作品は殆ど嫌いだが、『七人の侍』はまあまあ良く、内田吐夢の『宮本武蔵』はそこそこの出来だし、また『眠狂四郎』や『子連れ狼』シリーズ等にも幾本かある程度良い作品があった様に思う。
しかし膨大に作られた時代劇映画で本当に心を打つものは残念ながら少なく、皆いま一つと言う感じが残る事も事実である。
やはり日本時代映画史上最高の名作、正に名作中の名作といえるのは『切腹』ではなかろうか。なるほどこれはどこから見ても名作以外の何者でもなく、他の作品に頭一つ出てではなく、全く次元の違う桁違いの大傑作であると我は思う。
ただ若干のクレームをつければ武術的には少し?の部分がある。主人公の流儀が不詳であるし、殺陣の上手さもいま一つ(但し仲代氏の他の演技は完璧である)。殺陣には無雙直傳英信流居合術の技が幾本か用いられており、努力のあとは見えるのだけれど(ただこの時代には存在していない流儀である)。
このレベルのものを恒常的に(年に一本でも)作って貰えれば「日本時代映画は本当に素晴らしい」と大讃美する事に決して藪蚊さではない……が、現在の余りに劣化した日本人には到底無理だろう。
藤沢周平原作の時代映画が近年幾本か作られたが、総て愚作。時代考証もかなり出鱈目。いくら地方藩でも月代の剃りのいい加減な侍がいるとは思えないし、大体小太刀の達人と言う設定そのものが可笑しすぎる(そんな馬鹿な剣術家がいるわけがないではないか!)。そもそも原作が大した事がないのだから仕方がないが、その原作の意も汲めていないように感じられた事である。


「時代劇画」
話しが表題の「時代劇における古流武術文化の隠蔽」の所まで未だゆかないが、少し待って頂きたい。話しは順序立てて話してゆかないと話しが繋がらないのだから。
次には「時代劇画」の話しをなそう。我は時代小説、時代劇映画を大分貶したが、逆に大分褒めたいと思うのは日本の漫画文化である。といって最近のものは知らない。昭和三十年代、四十年代、そして五十年代の初めくらいまではかなりよい作品が作られた。
昭和三十年代の魔像時代の平田弘史氏の武士道系劇画は最高であるし、小島剛夕氏も当時ある程度の作品を造り、そして小池一夫氏や、また強いて言えば梶原一騎氏の原作で優れた時代劇が割合多数生まれている。
ただどれもクレームをつければ正当な武術と言う立場からいえば総て問題があり、駄目な部分も多い。しかしフィクションと實傳は違うし、特に小池一夫氏などは古典古流武術における技の高さ、職人的剣術家の超絶的なレベルと言う事をちゃんと描いており、そして精神的にもレベルの高い作品が多い。武術の技はともかく、平田氏、小池氏はちゃんと日本の武士道と言うものの精神的な深さをちゃんと描いておられた様に思う。
そして小池氏、梶原氏はかなりちゃんと日本文学をある程度読み込んでおり、中々の名文家であり、最近の作家連中などは足元にも及ばない。
勿論いま少しクレームをつければ小池氏の文章は明治、大正本(の名文)の全くの丸写しであったりしてぶっ跳んだ事もあったが、それだけ勉強しておられたのではなかろうか。


「隠蔽」
さてさて、此処からがやっと本題なのである。我は全テレビを含めてNHKの放送も今は殆ど見ず、精々ネット配信でチャンネル桜を見るくらい。また電子辞書のワンセグでたまにニュースなどを見ることもある。しかし数年前のNHKの大河ドラマ「武蔵」は我が「武蔵二刀剣法」を継承している関係もあり少し視聴していた時期もある。とはいえ、全部を見ていたわけでなく、一部ではあるのだけれど。
しかし流石にこの番組には驚かされた。全く原作を逸脱して、出鱈目な作品である。原作の名文の趣が全くない。
原作にも問題はあり、武蔵が城に籠もって本を読んだだけで強くなるのは可笑しいと言う様な批判もない訳ではなかった(言ったのは琴桜である)。事実前述した様に武術描写は駄目である。
しかしドラマは白鷺城で修行もせず逃げ出し、また沢庵和尚が武芸の達人で武蔵より強いと言うかなりぶっ跳んだ設定で本当に無茶苦茶である。
馬鹿馬鹿しくて以後は余り見なかったが、我以外も妙だと思った者も大勢いたようであり(そりゃそうだろう)、大分NHKにクレームが殺到したようである。
その間の状況も若干話しには聞くだけでそれほど注意はしなかったが、たまたま吉野太夫との場面をみてやはりあきれ、そして一乗寺下がり松のお通との邂逅の場面には絶句した。
両方とも原作における名場面だが、全く別物、寧ろ逆に造り替えられている。
宮本武蔵と言うドラマを全く新たに制作するのはそれなりに自由だし、良いと思うが、原作を吉川英治において、それらの登場人物を借りながら全く別の話しを作るのはルール違反なのではなかろうか。全く原作通りに作る事は所詮は出来ない相談だが、全く別物に造り変えられており、如何なものかと思うのであ。
以後馬鹿馬鹿しくなって見ておらず、他の部分は未見なので余り詳しい事はいえないが、みた分だけでもどれだけ酷い改竄かと言う事を少し考えてみよう。


与謝野晶子
吉野太夫との出逢いは吉川武蔵の中でも名場面であり、琵琶を断ち割って説話を説く場面が著名である。これは法句経からの転用であろうかと思うが、中々格調高く名文の続く場面である。NHKドラマは全くそれを崩し、別物に造り替えている。原作は良く筋の通った良い話しだが、ドラマの方は丸で論になっておらず、何だか良く分からん。
「美しいものは美しいのです」といって小泉今日子が背中裸になる……こんなものを論評しようがない。
役者と言うのは脚本通り、それに添った形でやるのが役目であり、彼らは何とかそつなくこなしていたとは思うが、こんな筋の通らない脚本では流石に当惑するのではなかろうか。
しかしもっと酷いのは「一乗寺下がり松」であり、此処ではお通を与謝野晶子にしてしまい、決死の覚悟で決闘に向かう武蔵に「死なないで」といって泣きすがる。
往年の吉川武蔵ファンも絶句したのではなかろうか。
原作は勿論逆であり、乱脈を極めた侍道を糺す為、敢えて卑怯な敵を迎えて絶対死の覚悟で闘いに臨まんとする武蔵に、お通は武蔵の心と覚悟をちゃんと理解し、それが武士としての武蔵の定めと了解した上で、敢えて無理に止める事をなさず、「貴方が死んだら時、私も死にます」とそれだけの事を告げるのである。


個と公
小林よしのり氏も『戦争論』の中で「個」と「公」の区別と言う事をかなりの頁を割いて解説しておられたが、その区別は確かに重要であり、またそれは人の心の正に裏表であると我は思う。与謝野晶子の詩も私心の発露ではあるが、しかし決して利己心を歌ったのではなく、愛する弟を想いての心であり、壮絶な心の叫びであり、決してないがしろに出来ず、故にこそ名作として伝えられているのだと思う。
私心と公心はその意味では紙一重であり、しかし紙一重の差がある事に意味がある。何方かをだすべきかは様々な条件によって微妙に違い、一概にはいえない。両者の立場、年齢の差異の事もある。与謝野晶子の場合は弱く幼い弟の対する姉としての心の叫びであり、弟をかばって、自己の危険も省みず歌った勇気の発露である事に意味がある。
だから吉川英治の武蔵でも、般若坂の決闘の時、幼い丈太郎に「逃げようよう」といって泣きじゃくらせるのであり、様々な状況、年齢、立場を考えての作者の判断として、私心、公心の両面をそれぞれ示しながらストーリーをつづっているのだと思う。
一乗寺下がり松の場合においてお通が私心を発して「死なないで」と泣きすがる事も一つの女心の発露ではあり、必ずしも悪いとは言わないが、原作は全くそうではないのに、それを全く書き換えてしまうのは如何なものか。吉川英治と言う昔の作家の意を勝手に崩して良いのかどうか。そして現代において造り替えたものを吉川英治原作の名の元に放映すると言う事は歴史捏造に近く、実際視聴者の吉川英治に対する認識を誤らせる事になるのではなかろうか。

「出鱈目な時代考証」
武蔵は以後みていないのでそれ以上の事は分からない。般若坂の部分も、そして巌流島の部分も未見であり何も書けないが多分大分酷いのではなかろうか。
なお本作は時代考証も出鱈目である。
佐々木小次郎の長刀を背中に担ぐ時に、柄が右であるのは可笑しい。左にするのが正しいと新しいやり方を採用した事を得意になって自慢したNHK専属の考証係がいたが……。あの、これは少し、全く違うんですけれど。確かに打刀の場合はそのような論も当てはまるが、吉川英治の原作では佐々木小次郎の刀は太刀拵えであり、背中に吊り下げるが、太刀拵えの吊るしの構造によってある程度の鞘の可動範囲があり、よってこそ右に柄がきて、左の鐺を左手で引っ張る事によって抜くと言うスタイルになっている。内田吐夢監督の武蔵ではそのように正しく描かれているし、原作もしかりである。そうでなければ、原作の後半部で小次郎が太刀拵えを打刀拵えに造り替え、「この程度が腰にさせなければ」と呟く部分の意味が全く無くなってしまうわけである。


「生かし」
江戸期から維新以降もそれほど医学の発達していない時期は皆が比較的現実的に死とかなり向かい合っており、若死にする者が今よりかなり多かったと思われる。よって昔の文学には死と決別がかなり描かれており、最後に恋人が死んでしまう話が結構多かった。そこに日本の一つの美学もあったのだが、戦後のドラマはそこを改竄してしまい、「死」と言う事を余り描かなくなったと言う部分があるように思われる。
やはりNHKドラマで柴田錬三郎原作の天一坊事件を描いた時代ドラマが昔(多分四十年ほど前)あったが、最後の最後で天一坊の母、確か三田佳子だっと思うが、原作では死ぬところを、改竄して生かして終わりだったかと思う。
『姿三四郎』でも原作は最後の最後に恋人、乙美は呆気亡くなるが、テレビドラマでは改竄されて二人の結婚を皆で万歳して終わりだった。どうも戦後のドラマは最後の悲劇と言うものを避けて通る傾向があるようであり、これも戦後民主主義の影響であろうか。
しかしそれでは「死」や「決別」と言うものを直視できなくなるのではなかろうか。


「愛する者が死んだなら」
昔の日本には一種の死の美学と言うものがあったと思う。日本の腹切りは世界的に有名であるし、江戸期に歌舞伎では心中事件が大いに受けて多くの作品が作られている。
武蔵に対するお通の心もそのような流れを汲んだものであり、とにかくどんなことをしても生きろと言うのは戦後に多く現れた思想である。
「愛する者が死んだなら自殺しなければ成らない。愛する者が死んだならそれしか方法がない。それは確かに死んだのだから……。」と歌ったのは中原中也だが、戦前の日本には基本的にそのような心が皆にやはりあったのであり、お通の言葉は決して奇異なものではないのである。
戦後に価値観が変わって……といっても、それはまた別問題であり、武蔵は江戸初期の話しであり、当時には当時の価値観があり、時代劇をその時代の者の心で描くのは当然である。


 [21年8月4日記]


「戦後民主主義的改竄」
占領期における洗脳政策はやはり日本をかなり変革してしまっており、あらゆる部分に「戦後民主主義的改竄」が目立つようになる。
NHK式武蔵より内田吐夢の「宮本武蔵」の方が原作にかなり忠実でよいと思うが、内田監督の武蔵でも最後の最後にお通が佐々木小次郎を斬殺にゆく武蔵を非難する場面があり、驚かされた事がある。やはり当時(内田監督の武蔵映画制作の時)においてもその様な思想的風潮があったと言う事であるが、それが脱却できずに現在はますます酷くなっていると感じられる……。
これは困った事だが、しかしその事実の奥にあるものを見ないといけないと我は思うのである。


「悪龍毒蛇」
つまりこれは米国から仕掛けられた洗脳による日本人の劣化の現れなのか、それとも確信犯かと言う事なのである。
我自身は不思議に思いながらも流石に前者の様に善意的に解釈してきたが。しかしチャンネル桜の活躍により「NHKのJapanデビュー問題」がクローズアップされ、NHKの真に驚くべき実態が判明して行く過程において、我もこれだけの実際証拠が残る以上は確信犯に違いないと考えざるを得ない様になってきたのである。
確かに特に平成に入ってからの日本は何となく確かに変である。多分この頃からマスコミメディアの深い部分に大陸や半島系の悪意の触手が伸びてきて、様々な謀略を通じて次第に身動きがとれず、自己修正もできない様になってきているのであり、遂にNHKの同番組にその悪辣な部分が一瞬ながらも完全に露出してしまったと言う事であろうかと思う。
同番組の隙間に覗いた毒々しくも禍々しい異形のパーツは大陸にとぐろを巻く悪龍毒蛇の金鱗、銀鱗の模様であったに違いない。


「確信犯」
確信犯と断定すれば確かに平成以降の色々不思議な、またこの異様な雰囲気の実態、奥の実相が見えてくる。
平成の御世になってNHKをはじめ、あらゆるマスメディアで日本の古流武術がちゃんと真面目に取り上げられる事が全く無くなってしまっている。NKKの教育文化放送等にも全く取り上げられた事がないのは全く不思議であり、正に偏向放送である。
NHKのみの話ではなく、民放も同様である。これが本論表題の「時代劇における古流武術の隠蔽」の問題に繋がって来る。


「嘘の極め、木刀試合稽古」
昔から不思議であったのは時代劇ドラマにおける余りにも出鱈目な武術描写である。そもそも江戸期における武術道場でどのような稽古が行われいたかと言う紹介が全くできておらず、また流儀の解説も殆どないことが多い。
最も酷いのが当時の剣術稽古は木刀で試合して稽古すると言う様な無茶苦茶な設定と描写になったものが殆どであり、本当に酷いの一語である。そんな乱暴な稽古法があるはずがないではないか。こんな常識も分からない時代劇制作者の感性は異常だが、それが確信犯であったとすると何とか納得できる。
また各流儀には流儀の特徴があり、流儀の古典形文化、また独特の各種稽古道具がある言う事。これらを全く紹介しないことは真に異常であり、確かに古流武術文化の隠蔽が行われていると考えられる。


劣化した時代作家
この様な杜撰な武術表現の問題は根本的には時代作家にそもそもに最初の罪がある。池波正太郎などが駄目と我が言うのは一つには武術の稽古の本質を全く勘違いしているからである。
余り多くを読んではいないのだが、確か上泉伊勢守を描いた小説で飛んでもないことを彼は書いていたと思う。
「上泉伊勢守の時代は未だ剣術理論も未だなく、後世の如く、木刀を竹刀を用いた稽古ではなく、真剣で向かい合って、何時間も動かないと言うような……。」
この様な馬鹿な事を書いているのである。
江戸期における剣術の描写も出鱈目であり、例えば著名な『剣客商売』等でも当時の稽古法を木刀試合稽古調に描いている。流儀武術の各特徴なども無知の為に殆ど描けていない。


「時代考証」
武術の事に暗い、武術描写の杜撰な時代作家がいる事は困った事だが事実は事実として致し方ない。ただ多くの作家の中にはある程度古流武術の実際を描いた作家も少ないながらもいたとは思うし(残念ながら我の無知で殆ど上げる事ができない)、また時代考証家であられた名和弓雄先生などは江戸期の武術文化の高さを指摘され、様々なアイテムを出して江戸期の不思議な文化をもっと紹介して行くべきである事を提言されておられたが、確かに昭和の御世にはその様な工夫が時代劇においてある程度見られた様に思う。
しかし残念ながら平成に入っては江戸期の描写はますます杜撰となり、古伝の武術文化の隠蔽がますます酷くなっているのである。


[21年8月5日記]


「脚本家の無自覚と無教養」
水戸黄門や大岡越前、遠山の金さん、暴れん坊将軍などシリーズものがあったが、次第に数が少なくなり、また内容もニュートラルになってきた様に感じられる。脚本家に古典的な教養の持つものが少なく、ストーリーも全く陳腐で面白くない。
やはり脚本家の世代交代があり、昔風の教養の持つ者が少なくなっているのではなかろう。昔の大岡越前では脚本家のギャクであるのか、結構昔の落語や講談から取ってきた話しを上手く当時の話しに当てはめて古典的な江戸の人情、若しくは武士期の矜持等を描いていた様に思われる。
思い出すだけでも「芝浜」「井戸の茶碗(仏像の小判)」「大工調べ」などの話しが何度か形とキャストを変えて描かれていて、中々楽しい話であった。
しかし次第にちゃんとしたベレル高い脚本は少なくなり、本当につまらないものとなってしまっている。今続いているのは水戸黄門のみであるが、今のレベルはかなり低く、これでは江戸の実相と知識を知る事は不可能である。


「水戸黄門の時代」
水戸黄門は元禄の少し前、元禄文化が花開く前の前触れ的な部分等を十二分に描くべきだし、また戦国から伝わる古典武術文化が次の段階の変化、技法と精神的な高みに移ろうとしていた時期である。もっともっと描くべき当時の絢爛たる江戸文化は無数にあるはずである。
武術だけではなく、この時期はかなり驚くべき竹田操りカラクリの驚異の世界があったし、また江戸期における驚異の木製ロボットとして著名な「茶汲人形」も既に完成していた。
江戸期最高の精密機械、和時計も世界に類を見ない二丁天秤時計を丁度完成させていた時代である。
また水戸黄門といえば講談にも多くの面白い逸話があるし、そして実際的な業績も多く、『大日本史』の編纂や湊川での楠木公の顕彰などが著名であり、その顕彰碑を偏屈の石屋に頼む話しなど中々に愉快な話しが多数あったはずであり、それは現代にも通ずる部分であるのだからそれを巧みに現代と絡ませながら十二分に伝えるべきである。そして全国を行脚する話であるのだから各地の古典武術との出逢いを描き、それらの流儀の今日との関わり、そして現代にまで伝わる業を利用して当時の業を役者に再現させたり、やろうと思えば色々な興味深いストーリーを造る事ができるはずである。
作州にいけば、竹内流や武蔵圓明流二刀剣法の遣い手が出てるべきであり、上州では荒木流の達人との乳切木との勝負など描いてほしい。いや欲しいと言うより描くべきではなかろうか。日本の歴史や文化を殆ど知らないものが脚本を書いている今は真に情けない時代である。


「流儀文化の隠蔽」
水戸黄門では光圀自身もお供の佐々木助三郎、渥美格之進も武術の達人としては描かれるが、何流を修めたのかも分からない。確か格之進が起倒流の達人として描いたものがあったきもしたが、今日の水戸黄門ではその様な流儀解説はゼロである。
水戸出身であるから、水戸傳古藤傳系一刀流や和田平助の新田宮流居合などの関わりを描くべきである。用いる刀も大村加卜などの水戸鍛冶を紹介すべきである。
ただ記憶によると、一度大村加卜の名が出てきた様に思う。ただこれも人の刀を唐突に評して、そして水戸の者と察すると言うだけのものである。水戸と大村加卜との深い関わり、そして驚くべきその人となり、「真之十五枚甲伏造」を提唱した不思議な刀工である事等の紹介が全くないので一般の者は余り意味が分からなかったのではなかろうか。
江戸期知識を毎回さりげなく、そして判りやすく、そして著名人も上手くキャラクター造りをして物語に散りばめれば江戸期への理解が高まり教養の一つにもなるだろう。コラム的な解説を入れても良いのではなかろうか。


「現存武術流儀との関わり」
時代劇を面白く、そして興味深く描く一つの方法は現代における現存武術との関わりの部分を上手く描く事である。今日全国に日本居合術の代表として施行される土佐居合、つまり「無雙直傳英信流」の開祖、長谷川英信は元禄の少し前くらいといえば、武州で指導していた時期であり、超絶的な居合術の達人として登場させても良いはずである。流儀の形は現存しているわけであるから開祖に古典形を演武させる事も可能のはずである。


「武芸奨励」
暴れん坊将軍、吉宗の時代は水戸黄門の時代の何十年か後、享保の頃であるが、この将軍は武芸を奨励した事で知られ、また当時の武術文化は簡単な防具をつけて竹刀での自由な撃ち合い稽古を多くを始めだしていた時代である。しかしその様な剣道の原形的な方法論も発達したが、勿論流儀の古典形も多いに錬磨されいただろう。そして流儀の数もかなり増えこれからこそが驚異の日本武術が爆発的に隆盛して行く時期である。しかし吉宗が剣の達人である事は良いが、何流なのかやはり分からない。関口流か、やはり新陰流を修めたのか、ちゃんと調査して師匠筋や稽古風景も描くべきである。稽古もせずに急に強い人間などいるはずがない。
また彼は天文方を設置し、自己も天体望遠鏡で宇宙観測をしたと言う。少しこの部分がドラマでも出ていたが肝心の望遠鏡がちゃちすぎる。そして窓からなど天体観測などできるはずがない。そしてこの時期は森仁左衛門などがあらわれて日本製の望遠鏡、いわゆる「遠眼鏡」を製作した事でも知られている。
現代における時代劇での奇怪しい事の一つは日本製望遠鏡、「遠眼鏡」を正しく紹介していない事である。当時の「遠眼鏡」は世界に類を見ない独特のもので、紙と漆も以て造り、それに金唐草文様を巧みに施した大変に見栄えのする華麗なものである。この様な当時の製品の正真の姿を全く紹介していない事は問題である。


「文化文政期の奇跡」
「遠山の金さん」も何故だか全くやらなくなってしまったが、遠山金四郎の時代は文化文政期であり、描くべき武術文化は膨大であり、日本傳科学機器も驚異的な発達をみており、各地に驚くべき科学製品が存在した。また日本職人の腕が最高の高まりをみせだしたのもこのころであり、特に江戸には驚くべき名人職人たちが犇いていただろう。
前述した様に日本傳望遠鏡「遠眼鏡」は享保の頃に一つの完成をみるが、以後も発達し続け、金四郎の頃には印籠遠眼鏡や根付遠眼鏡、脇差遠眼鏡などといった小型の面白機器も沢山存在していた。機械時計も印籠時計、卦算時計などまでが出来ていたし、江戸中期までの素朴なスタイルではなく、凝りに凝った絢爛華麗な作品が大名や大富豪商人等の後援によって多く製作されていた。だからある程度の大店を訪ねれば普通に店先に尺時計くらいは掛かっていただろうし、文人墨客の机にも大名枕時計や卦算時計等が置かれるべきなのである。
しかしながらその様な日本独特の超絶的な機器は全く時代劇でみることが出来ず、そして江戸三百年を一元的に扱う事で江戸の歴史と文化を隠蔽していると観察できる。


「二回の隠蔽」
日本の江戸期は實をいえば本当に驚くべき時代であり、三百年に渡るミナクルピースを通じて驚異的にして大変優良なる文化を膨大に造り上げ、当時の世界のどの国よりも豊かな国であった。その本質の隠蔽を最初になしたのは実は明治政府であったと考える事ができる。武家もしかりであるが、民衆に本当に貧窮が進んだのは維新以降であり、時の政府としては前代を積極的に肯定するわけにはいかなかったわけである。しかしまたそれも致し方なかったともいえるだろう。明治以降は列強の強欲をはねのける為に臥薪嘗胆にて富国強兵に勤めなければならなかったのだから(つまり国民の生活より軍備費に多量の血税を投入しなければならない時期であったわけである)。
だが占領期以降は敵外国か

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