●「南京の真実」の問題
これはチャンネル桜の衛星放送番組ではなく、同社が出版した書籍である。現在中共のデタラメなプロパガンダに負けないように水島社長は「南京の真実」全三部作の映画を制作しつつあり、そして第一部が完成し、各地で上映されている中途であるが、その第三部の原作を漫画化したものである。 ストーリーはアイリスチャンの自殺説を疑う所から始まり、色々彼女の著書の内容、つまり南京大虐殺の虚構性を暴いてゆくというスジ書きである。 この様なやり方も方法論としては良いと思うし、それはそれで結構であるが、考証に誤りが多く、胡乱な解釈がありすぎる。これでは贔屓の引き倒しになる事を恐れる者である。ところが、同じ様な間違いを畠本、小林本なども犯してしまっており、否定派の認識の低さを感じさせる。特に武術的な部分の解釈が出鱈目であり、素人であるから知らない事は致し方ないのであるが、知らない事を考証してしまっては知らないでは済まないから問題なのである。つまり知らないという事も知らないという事。これは真に遺憾であり、宜しくない。
●日本刀の性能について 近年南京における百人斬り問題という論争と、そして裁判があったが、南京大虐殺否定派は大体はこの事件の否定派であるようである。色々な方面から否定的な状況証拠を提出しているが、「そもそも日本刀ではその様な仕事(百人斬り)など不可能」という様な「日本刀劣等武器論」を称えている事にビックリさせられたのである。 即ち「日本刀では数名しか人は斬れない」「血の脂がついて切れ味が落ちてとても無理」「骨に当たったら刃はボロボロ」「刀を柄に止めるのに竹釘を用いており、すぐに柄はガタガタ(これは畠本)」「鉄兜など唐竹割りなどできるはずがない」「二三人切ったらボロボロ」などという様なトンデモナイ事を否定派が大合唱しているのである。 なるほど刀で鉄兜を割るのは確かにかなり難しいとは思うが、幕末に榊原鎌吉が明珍名人の鍛え上げた本式の鉄兜に五寸も切り込んだという実話があり、良くできた古刀と腕が伴えば日本刀の切断力は中々に凄いものがあり、薄い鉄板なら本当に両断してしまうほどのものである。 ただ武術家として、そして古流剣術(武蔵二刀剣法[四系統]、天然理心流、直猶心一刀流)、古流居合術(慈元流、高橋家古伝無外流、伯耆流、無雙直傳英信流[数系統])を永年錬磨している立場の人間として言わせて貰えれば日本刀は本来そんなヤワな武器では決してない。ただ江戸期においては材料の劣化により武器としての性能がやや落ちてしまった時期もあり、そして多くの新々刀、現代刀には武器としてはやや不出来の、見てくれだけの折れやすい刀もある事は認める。しかし逆に明治以降の現代刀はともかくとして洋鋼で造られた刀は凄まじい性能のものが多く、その丈夫さは新刀を超え、古刀の強靱さに迫るものがある。つまり「火急の用に合わせて造られた大量生産の工業式昭和刀などなまくらで使い物にならない」などという謂は殆ど、いや全く正しくない。これは余り知られていないが紛れもない事実である。 そして特殊金属を投入して造った特殊合金刀は古刀を超え、超絶的に頑丈で恐るべき切れ味のものまである。この様な特殊刀は大東亜の大戦でかなりの活躍をなしたのではあるまいか。 ただ新刀以降に劣化した刀もできてしまったと述べたが、それも程度の問題であり、そして逆に江戸期は様々な剣術流儀ができて、極めて高度な剣法技術を磨いていたし、超絶的な達人の業が各地で育まれていた。刀として性能は多少劣っても僅かな力で人を斬る様々な技術傳が研究されたし、刀に殆ど衝撃な残さないスーパーテクニックも様々あり、性能のやや劣った新刀であろうと人間を斬るのにおいてはそれほど不足はないと考える。 実際的には古刀の健全に残ったものの大半は丈夫で中々良く斬れる。新刀以降では劣化した刀もあるが、業物ランキング(江戸期は実際の試し斬りが大いに行われ番付表が完成していた)の上位のものは大体良く斬れるしかなり頑丈である。 そして明治以降の洋鋼刀、特殊合金刀も決してヤワではなく、寧ろ古刀よりも頑丈で良く斬れるものが殆どだろう。 実際古式の造りの良くできた日本刀、そして特殊合金刀の切れ味は本当に凄まじく、その試し斬りの実際を見るとその凄さにビックリさせられる。木刀を叩き斬り、何千本の太竹を斬りまくり、鉄板まで切断して殆ど歯零れもないような剛刀も実際に存在しているのである。 ただ我としては特殊合金刀は余り好まない。やはり古式の造りの刀が好きであり、良くできた健全な古刀の切れ味もものすごいものがあるのであり、そして日本剣術における古伝切断技術を用いる者の立場としては日本刀の目釘はやはり竹製が最高なのである(解説10)。 この様な事実を百人斬り否定派も勉強してちゃんと真実を認識し、正しい解説をお願いしたい。 中共の嘘に虚説で返すのは宜しくないと我は考える。
●「斬首写真の虚実」 次に南京大虐殺を証明する写真史料の一端として、幾つかの種類の日本軍における斬首処刑写真があるが、これを否定派は中共の捏造写真と断定し否定している。 確かにその様なものもあるかも知れない。しかし全てを否定できるかどうかは微妙である。否定するならば否定するだけの根拠がやはり必要かと思うのだが、ここにおける否定派の論拠が胡乱、いや余りにも出鱈目なのである。 証拠写真の鑑定を最初に行ったのは東中野修道教授であるが、この考証は驚くほど胡乱なものがある。いや勿論納得できる論拠のものもあり、我自身も恐らく証拠写真の多くは確かに捏造されたものであると判定する。しかし特に武術系における写真の判定、その論拠は全く酷いの一語で真に遺憾の思いがある。そしてその考証を後の各否定派が間違ったまま踏襲してしまっているという構図であり、これは全く宜しくない。 だから……と、その考証をなそうかと思ったけれど、余りにもローレベルで馬鹿馬鹿しいので多くは語らない。 ただただこの点、もっと否定派論者には日本の古伝武術、古流剣術というものを研究し、知らない事は識者に検証して貰うか、分からない事は口を出すべきではないと考える。
水島社長にも勿論プロパガンダ対抗映画、第二部、第三部の制作をお願いしたいが、ただ誤った考証だけは修正して頂きたいと願う者である。
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